比田井小葩(1914〜1972)は、1948年に比田井南谷と結婚。

独特の抒情的な書風は、書壇でも注目を集めました。

「隊長、私(詩)的に書を語る」は、息子、比田井義信(1953年生まれ・私の弟です)が母を回想しながら、小葩の書を語ります。

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さいかちの

花さく小路にまよふ

(比田井小葩・1955年)

 

これは西脇順三郎の詩で、第八回毎日書道展1955年に出品されたものです。

 

この頃小葩は、南谷と共にキャンバスに粗く下塗りをした上に書くことを実験していた時期で、書体も色々と試しながら、自分の可能性を広げていた時期なのでしょう。

紙?面いっぱいに書くことで、書の力をどんな素材にでも発揮できると言っているようです。

ざらざらして書きにくいのに、かまわず力強い線でぐっと仕上げています。

 

これより何年か後で、僕がまだ幼稚園生の時に初めて海水浴場を見たのが森戸海岸でした。

母と祖母、姉と叔父叔母全部で6人で、海岸沿いに建っていた、かど家という料理旅館に泊まりましたが、部屋に付いている庭の端っこから小さな木戸を開けると、森戸川にかかる専用の小さな橋があって、渡ると直接海岸に出られるようになっており、疲れたから行かないという姉を置いて、母に手を引かれながら夕方の海岸を散歩したのですが、いつもは姉に母をとられるので、この時が最大の手をつないでもらった記憶のような気がします。

そのあと逗子海岸の砂浜に建った移動遊園地に行った記憶があったのですが、なんだか黄色っぽい色の照明の中にメリーゴーランドや色々な乗り物を見物して、人ごみに疲れて帰ったような、、、夢の中だったのかなー、等と思っていたのですが、つい何年か前にテレビでやっていた、石原裕次郎の狂った果実を見ていると、なんとその遊園地で遊んでいるのが映ったじゃありませんか!

本当にあれは夢じゃなかったのねと、嬉しいような懐かしい気持ちになりました。

あれは逗子コニーランドというその当時だけ何年かあった夏だけのお楽しみだったようです。

ついでに、かど家旅館というのはその後、石原裕次郎たちがよく訪れたという海狼という高級中華料理店に息子さんが変えて、2019年まで営業されていたようです。なんだか石原裕次郎つながりなお話でした。

 

 

おお、そんな遊園地があったこと、思い出しました。

夕暮れに砂浜の上の、ちょっとざらざらしたメリーゴーランドに乗ったなつかしい記憶。

弟はまだ小さすぎて、乗り物に乗れなかったのかしら。

 

で、なに? 「いつもは姉に母をとられる」だと?

そーじゃない証拠写真がこれだ!

 

左上は叔母(母の弟の嫁)の山枡葉子。

お料理が上手で、みんなのご飯を作ってくれました。

 

(イタリック部分は比田井和子のコメントです)