比田井小葩(本名康子・1914〜1972)は、1948年に比田井南谷と結婚。

独特の抒情的な書風は、書壇でも注目を集めましたが、58歳で急逝しました。

「隊長、私(詩)的に書を語る」は、息子、比田井義信(1953年生まれ・私の弟です)が母を回想しながら、小葩の書を語ります。

比田井小葩オフィシャルサイトはこちら

 

るるり りりり  

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草野心平のおれも眠らうです。

彼の詩にはカエルのうたが多いのですが、かたまって冬眠している穴の中から聞こえてくるような書ですよね。

 

草野心平のカエルの詩をもう一つ、青い花

 

トテモキレイナ花

イッパイデス

イイニホヒイッパイ

オモイクラヰ

オ母サン

ボク

カヘリマセン

 

沼ノ水口ノ

アスコノオモダカノネモトカラ   

ボクトンダラ

ヘビノ眼ヒカッタ

ボクソレカラ

忘レチャッタ

オ母サン

サヨナラ

大キナ青イ花モエテマス

 

すさまじい詩ですよね。

最初のトテモキレイナと、次の印象的なボクトンダの場所で墨を足して、物語の悲しさを少しやわらげてくれているのが小葩のやさしさでしょうか。

この二点は幅150センチ位もあるかなり大きな書なのですが、臆することもなく豪快に気持ちよさそうにかいていますね。

 

みなさんはハイハイしていた頃のこと、おぼえていますか?

僕はかなり色々とおぼえていますが、ある時、玄関の板の間でハイハイしていた時、母と叔母が立って僕を見下ろしながら、なんでこの子はなかなか立たないんだろうねと話していました。

確かに何か月もハイハイしていましたが、マズいのかなと思った僕は、立たねばと思い、うさぎとかめのついたカタカタの押し車で練習を始めたのでした。

立ってみれば、それはそれで行動範囲が広がって外にも行けるし、たのしかったのでした。

でも、ハイハイしていた時の木の床の感触がつるつるしてきもちよかったんだけどなー。

ハイハイし始めのころに、二階から階段をまっさかさまに落ち、通りかかった祖母がハッシと受け取めてくれたせいか、危機を感じてそれから頭がフル回転していたようで、私の知能指数が異常になっていました。

 

そんな訳で、子供のころの記憶がこんな年になっても忘れないのでしょうか。

バランス感覚を鍛えねばと思われたのか、庭に丸太の両端を吊り下げた遊動円木?を作ってもらった姉弟は、派手にゆすって遊びましたがそのおかげで、電車でつかまらなくても平気になりました。

が、年を取るとやっぱり全然だめですよね、、、

ちなみに姉は、時々急にみんなを遠ざけて、今神様とお話ししているから静かにして!と言い、目をつぶると下を向いてしばらくそのままでいたのですが、あれは何だったのでしょうかね??

 

ちょっと不思議な姉弟でした。

 

 

 

草野心平の最初の詩は素材として人気ですね。

澄んだ音が軽やかに響いてくるよう。

でも次の「青い花」を書いた作品は、ほかに見たことがありません。

 

ヘビノ眼ヒカッタ

まるで銃口に狙われているよう。

 

さてさて、弟は私より2歳半も下なのに、私が覚えていないことをよく覚えていて、へんだなあとは思っていました。

な、なんと、IQが163! (当時の書類をとっておいた母もすごい)

実年齢が4歳11ヶ月のところ、知能年齢が8歳!

しかもこれは、間違いだと思って呼び出され、再検査の後の結果だとか。

 

まさかそんな弟とはつゆ知らず・・・

 

ちなみに、神様のことですが、私は厳格なクリスチャンだった祖母に育てられたので、いつも神様がいっしょだと感じていました。

というか、没頭したいことがあると、まわりの人が邪魔だったのかも。

 

不思議な姉弟でした。