比田井小葩(1914〜1972)は、1948年に比田井南谷と結婚。

独特の抒情的な書風は、書壇でも注目を集めました。

「隊長、私(詩)的に書を語る」は、息子、比田井義信(1953年生まれ)が母を回想しながら、小葩の書を語ります。

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もくもくと

雪のように

ふるえていたい

(比田井小葩 第17回毎日展・1965年)

 

 

ひかりにうたれて花がうまれた 

(比田井小葩 第9回随鴎現代書展 1966年)

 

 

しどめの花は

かんざしににている

いい花だ 

(比田井小葩 第4回創玄展 1969年)

 

もくもくと、は大正14824日編、美しき世界

ひかりにうたれて、は大正14917日編、母のひとみ

しどめの花、は大正14421日編 赤土の土手 の八木重吉の詩集です。

 

なぜ3つならべたのかというと、墨と書風が、南谷となんだか呼応しているような気がするのです。

 

私が小学生のいつだったかに、ソファーで寝てしまっていた時にふと気が付くと、隣の和室の畳の上に母が書いた作品を広げて、二人並んで選んでいたのです。

母がこれいいでしょ?というと、いつもは人の書なんか相手にしない父が、ぼくはこっちの方が好きだとかいっていたのです。

ここの部分がなんともいいとか、すばらしいとかいう父に向って、あら、私はこっちの方がいいと思ってるのにとか、なごやかな会話が聞こえて、邪魔しないようにしばらくそのまま寝たふりをした思い出がなつかしいです。

お互いに認め合った作品が、それぞれ年代ごとになんとなく似た雰囲気を感じさせているとおもいませんか。

 

 

 

比田井南谷 作品64-3 1964年

 

比田井南谷 作品68-10 1968年 春日井市道風記念館蔵

 

比田井南谷は1965年と1069年にはほとんど作品を書いていないので、それぞれ前年の作品から選びました。

確かに二人の作品がなにか呼応しているように見えますね。

 

妻、小葩が他界したのは1972年。

最高の理解者であり、かつライバルだった妻を喪い、南谷の作品は激減しました。

ぽっかりと空いた穴を埋めることは、誰にもできなかったのです。

 

(イタリック部分は比田井和子のコメントです)