比田井天来は北海道が好きで、何度も訪れています。

北海道登別温泉に、比田井天来が最晩年に書いた石碑があるので、久しぶりに行ってきました。

 

登別駅。

「駅」ではなく、旧活字の「驛」になっているのは、なにげに嬉しいですね。

昔の文字をそのまま使っているらしい。

 

熊さんの剥製がちょっとこわい。

 

バスで登別温泉へ行きます。

ここは地獄谷。

 

赤鬼と青鬼が有名ですね。

撮影スポットです(小さいお子さんは怖がるので、記念撮影はやめましょう)。

青鬼のさらに左の方に見えるのが

 

これが目的の石碑です。

右が「瀧本栗林二翁頌徳碑」。

北海道登別温泉の開発と発展に功労があった瀧本金蔵と栗林五朔の頌徳碑です。

碑陽は頭山満の書。

碑陰を書いたのが比田井天来です。

 

石碑ぎりぎりに柵があるので、全景を撮れませんでした。

高島槐安の文章239字を比田井天来が揮毫しています。

天来は木簡を研究して「木簡隷」という書体をあみだしましたが、この碑も木簡隷です。

書いたのは1938年7月、逝去は翌年1月4日ですから最晩年の書ということになります。

 

左に建つ「功労碑」には、登別温泉の発展に寄与した人々の名前が記されています。

最初の二行、「玉川亀吉翁」と「中沢宗治郎翁」が比田井天来で、左三行は長谷川遅牛の書。

上の題額はちょうど扁額のようになっています。

これも天来の書。

最晩年とは思えないような、みずみずしい隷書です。

 

1997年に、天来の会から書籍「瀧本栗林二翁頌徳碑」を発行しましたが、そのために拓本を採りに行ったときの写真です。

左から金子卓義先生、玉村霽山先生、淺沼一道先生、私、淺沼啓雪先生、上は高橋蒼石先生。

左のお三方はもういらっしゃいません。

この晩の宴会で騒いだのが懐かしい(それか?!)。

 

さらに、こんな写真もあります。

 

1970年頃です。

唯一の男性が比田井南谷、その左が小葩。

前列右に堀桂琴先生がいらっしゃいます。

 

さて、現代へと話を戻しましょう。

この日は白老町の虎杖浜温泉ホテルに泊まり、翌日朝、また登別駅へ。

 

登別駅からすぐの「登別マリンパークニクス」。

天来の会で登別へ行ったときも、ここに寄りました。

 

水族館、好きなんです♡

すごいスピードで泳ぎ回るイワシ。

逆行しているヤツもいる。(気持ちがわかる)

 

こちらは、イワシのようにあくせくしない優雅な金魚。

 

色とりどりのちっちゃいやつら。

 

優雅だけど、なんだかこわいイソギンチャク。

 

シュールだ。

 

施設内のレストランで一休み。

なんといってもビールでしょ。

 

そして、この後は札幌へ。

小原道城書道美術館で開催中の「生誕150年記念/比田井天来展」におじゃましました。

ブログはこちら

 

翌日は

 

北海道神宮へ。

ここに比田井天来の扁額があるのです。

 

写生大会が行われていました。

 

天来の扁額を撮影したいと思い、御朱印所で聞いてみました。

そしたら、先に電話で許可を取っていないと見ることはできません。

えーっ?

前は社務所にかけてあったのに。。。。。

小原道城先生も、一番目立つところにあるよ、とおっしゃっていたのに。。。。。

どーしてもだめなの?

二回も聞いてみたのですが、だめですの一点張り。

どうやら担当の方は写生大会で忙しい模様でした。

 

仕方がないので、ビデオ「比田井天来の生涯」を作ったときの画像を出しましょう。

「蔵春閣」 天来象之

大正8年の書です。

2008年のブログはこちら

 

お昼は、久しぶりにサッポロビール園に行ったのですが、屋外のレストラン以外は満席でした。

なんと90分待ち。

気候もよいので屋外はいかがですか?

せっかくのご提案ですが、暑い。。。

あきらめて

 

札幌駅に戻り、エビスバーに行きました。

 

ビールは琥珀エビス。

今まで暑いのを我慢したのは、これを飲むためだったのだ!

 

選べる冷菜3点盛合せ。

アフタヌーンティーのようだ。

 

ハイボールはもちろん「ダブル」。

 

となれば、やっぱり唐揚げでしょう。

たまんないね。

 

今回の旅行で、何と言ってもすばらしかったのは「比田井天来展」。

小原道城先生に大感謝です。

翌日は、なんだか肩透かしっぽい一日でしたが、これも悪くないかも。

(ハイボールと唐揚げがよかった)

 

というわけで、久々の「旅行カテゴリー」のブログでした。

旅行, 書道