比田井小葩(本名康子・1914〜1972)は、1948年に比田井南谷と結婚。
独特の抒情的な書風は、書壇でも注目を集めましたが、58歳で急逝しました。
「隊長、私(詩)的に書を語る」は、息子、比田井義信(1953年生まれ・私の弟です)が母を回想しながら、小葩の書を語ります。
比田井小葩オフィシャルサイトはこちら。
小葩が詩文書を意識するのは、南谷との結婚あたりからではないのかと思います。
というのも、作品の入っている箱の中にこのはがきが入っていたのです。
まるで、後で僕が見た時に分かるようにとでも、この箱には詩文書の作品が重点的にはいっています。
で、まずこの中で一番最初に書いたのがこれでしょうか。
ルーペで見てみると、ベニヤ板の上に何か色のものを塗ってから、普通にかなを書いています。
雅な仮名の世界をまず否定して、すました顔で仮名を書いてみたのでしょうか。
次にかなを少し現代風に読みやすく、内容も近代に寄せています。
この作品になると、だんだん自分の書が出来上がってきています。
そこでこのようにしてみましたが、この写真が小さいところを見るとあまり気に入っていなかったようです、、、
その後、文字に自分の感情を込めて、ベニヤ板もわざとムラに下地を塗って大胆な文字で展開していますが、これがなかなか力強く
この作品に続いていきます。
その後は南谷の使ったキャンバスに下地を塗ってインクや墨で書く時代が続きますが、それからは言葉や書体、空間などに実験の主体がうつりました。
僕が生まれたのがこの最初の頃で、最後の作品が発表されたのが1972年5月、僕が19歳の時だったのでその間、詩文書作品を書き続けたのだと思うと、なんだか感傷的になってしまいます。
母が天来生誕100年展を開催しようと提案してから多分、天来と小琴に供える気持ちが強くなったのでしょうか。
1969年を超えるあたりから、よく二人とも臨書をするようになってきました。
それが
最後の年、1972年1月の毎日現代女流書展や、
5月の天来生誕100年展の門流展の作品に、かなと詩文書の融合とでもいうようなすばらしい遺作として残っているのでしょう。
その間の沢山の魅力的な作品は、これからも随時ご紹介させていただきます。
また勝手な解説をお許しください、、、
今回は作品が8点、しかも初めの4点は昔風の暗いモノクロ写真です。
そして、作風を見せたいので、読み方を入れたくないというのです。
困った。。。。。
いちおう読んでみましたが、最後の作品に書かれている短歌がわからない!
後半がなんだかへん。
これを解読できたのは、ひとえに筒井茂徳先生、ゆみ子先生のおかげです。
あはれにもはなさきにけりこぞのあき
やまぢのつとにひきしゝらぎく
去年の秋に、山歩きのお土産に持つてきた(そして庭に刺して置いた)
一枝の白菊が根づいて、今年はけなげにも花を咲かせたよ。
筒井先生のメールの最後に、こうありました。
小葩さんの自作の短歌かも知れません。
うーん、小葩は短歌を作らなかったと思う。
で、ムー教授が言ったのです。
小琴かも。
え?
比田井小琴の作った短歌を集めた「をごとのちり」に載っていました。
筒井茂徳先生、ゆみ子先生、本当にありがとうございました。
今回は、小葩の書業の最初と最後を紹介してくれました。
小琴から学んだ伝統的な仮名から現代的な詩文書を展開していく様子、そして最晩年の美しくも静かな境地。
びっくりしました。
実は隊長は、小葩の作品を、当時の新聞記事やスナップ写真の情報もあわせて、年代順に整理しています。
作品は順次紹介してくれると書いてある!
誰よりも楽しみにしているのは私です!!