中林梧竹の愛用筆
昨日、梧竹の超短鋒筆について書いたら、「中林梧竹の書」を書いてくださった日野先生からお電話をいただき、注文しておいた超短筆ができ上がって来たときのエピソードをうかがいました。
梧竹はさっそく、できたての超短鋒筆で作品を書いたそうです。
すばらしい迫力ですね。86歳です。
「恬筆以前」と書いてあります。今のような筆を作ったのは蒙恬という人だと言われていますが、それより昔の筆だ、という意味です。
右から二本目と三本目が超短鋒筆。この筆は大中小三種類作ったそうですが、ここにあるのは大と小でしょうか。
考えついた梧竹もすごいですが、これを作った中国の職人もすごいですね。
すばらしい迫力ですね。86歳です。
「恬筆以前」と書いてあります。今のような筆を作ったのは蒙恬という人だと言われていますが、それより昔の筆だ、という意味です。
右から二本目と三本目が超短鋒筆。この筆は大中小三種類作ったそうですが、ここにあるのは大と小でしょうか。
考えついた梧竹もすごいですが、これを作った中国の職人もすごいですね。
梧竹は、中国から帰ったばかりの頃、「ナマズの髭」と呼ばれた、長鋒で柔らかい筆を使っていたそうです。右端は日下部鳴鶴愛用の長鋒筆。こんな筆だったのでしょう。
そして、だんだんと短鋒になり、ついには超短鋒になったのだそうです。生涯、筆を変えながら、新たな境地を求めました。そして86歳にして、このような常識をくつがえす筆を注文し、愛用したのですから、すごいと思います。
書は最晩年が一番いいと言われますが、それは優れた書人に限られます。現在の自分に満足せず、強靭な精神力で、培ってきた経験を活かしつつ新たな価値を創造する。こんな芸術は世界に類を見ないと思いますが、いかがでしょう。
そして、だんだんと短鋒になり、ついには超短鋒になったのだそうです。生涯、筆を変えながら、新たな境地を求めました。そして86歳にして、このような常識をくつがえす筆を注文し、愛用したのですから、すごいと思います。
書は最晩年が一番いいと言われますが、それは優れた書人に限られます。現在の自分に満足せず、強靭な精神力で、培ってきた経験を活かしつつ新たな価値を創造する。こんな芸術は世界に類を見ないと思いますが、いかがでしょう。