みやと探す・作品に書きたい四季の言葉
連載
「泉鏡花集」を開くみや
1 神々の香り、乙女のほこり
季節は6月、我が家の庭にもお隣御近所の垣根にも薔薇が花開く頃となりました。
薔薇は園芸の歴史も長く、今日様々な品種が生み出されて妍を競う中に、ロンサールという品種があるのはご存じでしょうか。薔薇の愛好者にはおなじみの、色も香りも優しいピンク色の花です。この薔薇の名前ロンサールは、またよく知られたフランスの近代詩人の名(ピエール・ド・ロンサール)でもあります。薔薇のロンサールはこの高貴な薔薇詩人の名から付けられたものです。
ロンサール
ばらは神々の香り、ばらは乙女のほこり
高貴なる黄金よりもよろこびて
その胸にかざるなり、初花を。
「ばら」井上究一郎訳より一部抜粋
ロンサールはこのように謳って、ギリシャ・ローマの古代から薔薇をこよなく愛してきたヨーロッパの人々の心を捉えました。
日本人に親しいものには、シューベルトやウェルナーの曲に乗って唱歌にもなったゲーテの詩があります。「わらべは見たり」というこうした詩のお陰で、むしろ国漢とは本来違う言語の翻訳文の中に文語は命脈を保っているのかもしれません。
清らに咲ける その色[いろ]愛[め]でつ
飽[あ]かずながむ
紅[くれなゐ]にほふ 野なかの薔薇
ゲーテ 近藤朔風訳より第一連
西欧に於いては、薔薇は素朴な野の花であるとともに敬虔な聖母の花でもありました。また真理や愛や美といった観念の象徴であったりもしました。薔薇の小径をたどって行けば、先にあるものは牧歌的な野の風景であったり、敬虔な信仰であったり、あるいは魔女や錬金術が横行する神秘主義の闇であったり、また深遠な哲学の窓であったりします。薔薇ほど象徴性が高く、多岐にわたるしかも濃密なイメージを背負った花も他にないでしょう。
さまざまな方面から尊ばれた花ですから、薔薇を愛した詩人・文人を挙げれば切りはありませんが、薔薇の詩で有名なライナー・マリア・リルケ(1875〜1928)は薔薇の刺に刺されたことが死の原因であったと伝わり、いかにも詩人らしい伝説になっています。
薔薇の内部
何処にこの内部に対する
外部があるのだろう? どんな痛みのうえに
このような麻布があてられるのか?
この憂いなく
ひらいた薔薇の
内湖[うちうみ]に映っているのは
どの空なのだろう? 見よ
どんなに薔薇が咲きこぼれ
それを散りこぼすことができないかのよう
薔薇にはほとんど自分が
支えきれないのだ その多くの花は
みちあふれ
内部の世界から
外部へとあふれでている
そして外部はますますみちみちて 圏を閉じ
ついに夏ぜんたいが 一つの部屋に
夢のなかのひとつの部屋になるのだ
(富士川英郎訳)
薔薇が人の心を魅了する美の象徴であることを歌いつくした詩といえましょう。薔薇を讃え、薔薇に殺されたリルケ、唯美主義者にとってこれほど心惹かれる詩人も少ないでしょう。
2 日本における詩歌の薔薇
薔薇はもともと梅や林檎と近い種類で、日本にも古くから素朴な品種、茨(うばら・いばら)はあり、平安時代には貴族の邸宅に植えられてある薔薇・さうび(しやうび)と呼ばれる花もありました。しかし『万葉集』から始まる和歌の系譜にあまり姿を見ません。
十世紀始めに成立した『古今和歌集』は歌の素材の選択や配列に画期的な発明があり、和歌集の定型を築いた作品でした。夏の花には藤、橘、蓮、常夏(とこなつ・なでしこの別名)が並びましたが薔薇は採られていません。この十巻目、ものの名前を歌に読み込む遊び歌の巻「物名」に、薔薇を題にした歌が一首載るだけです。
さうび
われはけさ うひにぞ見つる 花の色を
あだなるものと いふべかりけり
『古今和歌集』436紀貫之
この第一句の末尾の音「さ」と第二句の頭の二音「うひ」を続けて「さうひ(薔薇)」というわけです。言葉遊びに終始するもので、何ら花の魅力を歌うものではありません。
『古今和歌集』は卓越した水準をもって後に続く歌集の規範になりました。昔から身近にありながら始めに『古今和歌集』に採られなかった素材はその後も重んじられず、歌には詠まれにくいという傾向があります。菫などがその例です。薔薇もその後の和歌に季節の花として大きく取り上げられることはありませんでした。
一方、中国の詩の世界では薔薇と蓮とが夏の花の双璧です。漢詩は古くから我が国の文学に大きな影響力を発揮してきましたが、その割に和製の漢詩に薔薇はさほど盛んには詠まれず、白居易(盛唐)や高駢(こうべん・晩唐)等の古典の本歌取りの趣で詠まれたものがほとんどでした。11世紀始めには成った藤原公任の『和漢朗詠集』にも「薔薇」という題は設けられませんでした。「首夏」の題で白居易の「薔薇正に開く、春酒初めて熟す」詩から二句(甕[もたひ]の頭[ほとり]の竹葉[ちくえふ・酒の別名]は春を経て熟す。階[はし]の底[もと]の薔薇[しやうび]は夏に入つて開く)が引かれているだけです。当時の薔薇への関心がその程度であったということでしょう。『和漢朗詠集』と同じ時代に書かれた『源氏物語』や『栄花物語』にある薔薇の記述も白居易の詩句、『和漢朗詠集』が採録しているのと全く同じ詩句を応用したもので、素直な自然描写でもありません。総じて、我が国では薔薇は長らく文学の素材になってこなかったと言えるでしょう。近代になってから与謝野晶子や北原白秋が薔薇を好んで歌っていますが、これはいかにも個性です。
おそらく、明治以降に流入した膨大な西欧の詩、また歴史とともに薔薇を愛してきた西洋の文明に触れることから、今日の層の厚い薔薇ファンは生まれてきたものと思われます。文学において薔薇の世界が深化するのは西欧化の進展と軌を一にする現象でありましょう。とすると、薔薇の文学世界が今日の深さと広がりにおよそ落ち着いたのは、多分昭和になってからのことと推察されます。薔薇の詩文を御紹介するにあたって、今回は訳詩が中心になりました。西欧の薔薇の文明は根も深く広がりも大きく、一回ではとても御紹介し尽くせるものではありません。また、主に近代以降の作品になりますが、和製の薔薇詩文にも魅力的なものはたくさんあります。それらについては回を改めてお届けしたいと思います。
みやは庭で花を見るのが好きです。といっても、放してしまうともっと好きなトカゲや小鳥を追いかけてどこへ行くやら分かりませんから、外にはいつも家族が抱いて出ています。山桜やつつじの花には毎日でも顔を寄せて、季節の匂いを楽しむようでした。さて薔薇が咲き、いつものように花見にみやを近づけると、どうしたものかいきなりのネコパンチ。フェンスに沿って這わせている中輪の品種で、棘もそれほど大きくありませんが、さすがに少し痛かったらしく、飛び上がって驚き、その後は神妙でした。棘のある花、攻撃する花を、生まれて初めて見たのです。武装は抑止力になっております、みやを相手には。
【文例】(※は本文中に記事あり)
[漢詩]
・憶東山(東山を憶[おも]ふ) 白居易
不向東山久
薔薇幾度花
白雲他自散
名月落誰家
東山に向かはざること久し
薔薇[しやうび]幾度か花さく
白雲他[かれ]は自[おのづか]ら散[さん]ず
名月誰[た]が家にか落つ
・ 山亭夏日 高駢(こうべん・晩唐)
緑樹陰濃夏日長
楼台倒影入池塘
水晶簾動微風起
一架薔薇満院香
緑樹陰濃[こまや]かにして夏日長し
楼台影を倒[さかしま]にして池塘[ちたう]に入る
水晶の簾[すだれ]動いて微風起こり
一架の薔薇[しやうび]満院[まんゐん]香[かんば]し
・※甕頭竹葉経春熟
階底薔薇入夏開
甕[もたひ]の頭[ほとり]の竹葉[ちくえふ]は春を経て熟す
階[はし]の底[もと]の薔薇[しやうび]は夏に入つて開く
『和漢朗詠集』147白居易
[和歌]
・※「さうび」
われはけさ うひにぞ見つる 花の色を
あだなるものと いふべかりけり
紀貫之『古今和歌集』436
・色青[あを]しもときつねあり夏木立
しやうびはことにくれなゐの花
後小松院『兼載雑談』112
・ 薔薇もゆるなかにしら玉ひびきしてゆらぐと覚ゆわが歌の胸
山川登美子『恋衣』(明治38年)
・審判の日をゆびきずくるとげにくみ薔薇つまざりし罪とひまさば
与謝野晶子『恋衣』(明治38年)
[散文]
・さうびはちかくて、枝のさまなどはむつかしけれど、をかし。
(薔薇は葉差しが近く込んでいて、枝の恰好などは暑苦しいが、それは
それとしてすてき) 能因本『枕草子』七十段 「草の花は…」
・ もたひのほとりの竹葉[ちくえふ]も末[すゑ]の世はるかにみえ、
階[はし]のもとの薔薇[さうび]も夏を待ち顔になどしてさまざまめでたし。
『栄花物語』つぼみ花
[訳詩・近現代詩]
・花薔薇 ゲーロック 井上通泰訳か
わがうへにしもあらなくに
などかくおつるなみだぞも
ふみくだかれしはなさうぴ
よはなれのみのうきよかは
『於母影』森鴎外他(新声社 明治22年)
・ 花の教[をしへ] クリスティナ・ロセッティ
心をとめて窺[うかが]へば花自[おのづか]ら
教[をしへ]あり、
朝露の野薔薇のいへる、
「艶なりや、われらの姿、
刺に生ふる色香とも知れ。」
麦生のひまに罌粟のいふ、
「せめては紅[あか]きはしも見よ、
そばめられたる身なれども、
験[げん]ある露の薬水を
盛りさゝげたる盃ぞ。」
この時、百合は追風に、
「見よ、人、われは言葉なく
法[のり]を説くなり。」
みづからなせる葉陰より、
声もかすかに菫草[すみれぐさ]、
「人はあだなる香をきけど、
われらの示す教[をしへ]暁らじ。」
『海潮音』上田敏(明治37年)
・※野なかの薔薇『女声唱歌』明治42年
ゲーテ 近藤朔風(訳)
1
童[わらべ]は見たり 野なかの薔薇[ばら]
清らに咲ける その色[いろ]愛[め]でつ
飽[あ]かずながむ
紅[くれなゐ]にほふ 野なかの薔薇
2
手[た]折[を]りて行[ゆ]かん 野なかの薔薇
手折らば手折れ 思出[おもひで]ぐさに
君を刺さん
紅にほふ 野なかの薔薇
3
童は折りぬ 野なかの薔薇
折られてあはれ 清らの色香
永遠[とは]にあせぬ
紅にほふ 野なかの薔薇
・ぴあの ポオル・ヴェルレヱン 永井荷風訳
しなやかなる手にふるるピアノ
おぼろに染まる薄薔薇色の夕[ゆふべ]に輝く。
かすかなる翼のひびき力なくして快き
すたれし歌の一節[ひとふし]は
たゆたひつつも恐る恐る
美しき人の移香[うつりが]こめし化粧の間にさまよふ。
ああゆるやかに我身をゆする眠りの歌、
このやさしき唄の節、何をか我に思へとや。
一節毎[ひとふしごと]に繰返す
聞こえぬほどのREFRAIN[ルフラン]は
何をかわれに求むるよ。聴かんとすれば聴く間もなく
その歌声は小庭のかたに消えて行く、
細目にあけし窓のすきより。
『珊瑚集』(大正2年)
・此世の薔薇[うばら] イエーツ
山宮兀訳
美は夢のごとくはかなきものとは誰が云ひし。
げにまたとなく哀しいものと愛[を]しまるる、
哀しくも誇らしきこの紅[くれなゐ]の唇ゆゑに、
トロイは炎上の焔にあへなく滅びぬ、
ウスナの子らも逝きぬ。
われら及び此世の営みは滅び去るとも
揺ぎたゆたふ人々の魂[こころ]のなかに、
寒々とはしる冬の水の如くありて、
天津水沫[みなわ]の星のもと、
常久[とことは]に淪[ほろ]びざる
この寂しき面輪[おもわ]よ。
伏も拝[をろ]がめ、小暗き宿の天使たち、
汝[いまし]らもまた何ものも生[あ]れ出ぬさきに、
疲れたるやさしきものの詣でこしかば、
神はそがため行手の世をば大野なす
坦[たひら]かにし給ひぬ。
・ええづは心の薔薇を語る イエーツ
西条八十訳
なべてものは美しからず、傷つき、
なべてもの疲れはて、かつ老いぬ。
路傍[みちのべ]の童児[うなゐ]のさけび、
躪[にじ]りゆく車の軋[きし]み
冬の土を跳ね返しゆく農人[のうにん]のおもき足どり、
わがこころの深みに薔薇の花さく
汝[な]がおもかげを擾[みだ]りつつあり。
ああ、いかなればかく歪[ひず]みはてし
世の姿ぞ。
われはそれらのものを新たにきづき、
ひとり緑なる丘の上に坐[ざ]せんことを欲[ほ]りす、
わがこころの深みに薔薇の花さく
汝[な]が俤[おもかげ]のゆめ秘むる
黄金の手函[てばこ]のごとく
二度[ふたたび]つくられし地と空と水とにむかひて。
・秘められし薔薇 イエーツ
尾島庄太郎訳より一部抜粋
遙かなる、いとどひめやかの、聖[きよ]き薔薇[さうび]よ、
われをば被[かくま]ひたまへ、我が機々[しほしほ]の
たぐひなく好き樹[しほ]に、
かの清浄の御墓、また、かの酒槽[さかおけ]に
汝[きみ]を求めし者達が
破られし夢の騒音と混乱を外[よそ]に見て住まふ所に、
また、かくまひたまへ、美とぞ人間[ひと]の名づけし
睡眠もて重たるむ
かの蒼白の目蓋のうちに深く。
・わが家 イエーツ 尾島庄太郎訳
古い橋、さらにもっと古い塔、
壁でかくまわれた農屋
岩盤の一エーカーの地、
ここに象徴の薔薇は花を開き、
蓬々[ぼうぼう]と茂る楡の古樹、数知れぬ老いた茨[いばら]、
雨の響、吹く毎に
とよめく風の声、十二頭の牛の
ざんぶと立てる水音に、心おびえて
小流を、さも物々しげな風態で
もどりゆく鷭[ばん]。
「わが家」より第一連
・※ばら ピエール・ド・ロンサール
井上究一郎訳より一部を抜粋
ばらは神々の香り、ばらは乙女のほこり
高貴なる黄金よりもよろこびて
その胸にかざるなり、初花を。
・※薔薇の内部 ライナー・マリア・リルケ
富士川英郎訳
何処にこの内部に対する
外部があるのだろう? どんな痛みのうえに
このような麻布があてられるのか?
この憂いなく
ひらいた薔薇の
内湖[うちうみ]に映っているのは
どの空なのだろう? 見よ
どんなに薔薇が咲きこぼれ
それを散りこぼすことができないかのよう
薔薇にはほとんど自分が
支えきれないのだ その多くの花は
みちあふれ
内部の世界から
外部へとあふれでている
そして外部はますますみちみちて 圏を閉じ
ついに夏ぜんたいが 一つの部屋に
夢のなかのひとつの部屋になるのだ
・美(し)き名 薄田淳介(薄田泣菫)
今日[けふ]しも、卯月[うづき]宵やみに、
十六夜[いざよひ]薔薇[さうび]香[か]ににほふ。
なつかしきもの、胸の戸に、
黄金[こがね]の文字の名ぞひとり。
神はをとめを召しまして、
いづくは知らず、往[い]にしかど、
大御心[おほみこころ]のふかければ、
残る名のみは消しませね。
『白羊宮』(明治39年)
・河岸の雨 北原白秋
雨がふる、緑いろに、銀いろに、
さうして薔薇いろに、薄黄に、
絹糸のやうな雨がふる、
うつくしい晩ではないか、濡れに濡れた薄あかりの中に、
雨がふる、鉄橋に、町の燈火に、水面に、河岸の柳に。
雨がふる、啜泣きのやうに澄みきつた四月の雨が
二人のこころにふりしきる。
お泣きでない、泣いたつておつつかない、
白い日傘でもおさし、綺麗に雨がふる、寂しい雨が。
『東京景物詩』(大正2年)「河岸の雨」より第一連
・和み 北原白秋
にぎみたま。
そは童[わらはべ]。
香[か]に和む
影の、野茨[のばら]や。
日の文[あや]よ、
そよかぜよ、ただ。
なづさはず、
行きも過がはず。
『海豹と海』「和み」より第四連まで。
・月光微韻 北原白秋
6 人声の、
近づきて、
明るか、
月の野茨[のいばら]
『水墨集』「月光微韻」より二十二章のうちの「6」
・草に寝て
六月の或る日曜日に 立原道造
それは 花にへりどられた 高原の
林のなかの草地であつた 小鳥らの
たのしい唄をくりかへす 美しい声が
まどろんだ耳のそばに きこえてゐた
私たちは 山のあちらに
青く 光つてゐる空を
淡く ながれてゆく雲を
ながめてゐた 言葉すくなく
−−−しあはせは どこにある?
山のあちらの あの青い空に そして
その下の ちひさな 見知らない村に
私たちの 心は あたたかだつた
山は 優しく 陽にてらされてゐた
希望と夢と 小鳥と花と 私たちの友だちだつた
「十四行詩」より