みやと探す・作品に書きたい四季の言葉

連載

第2回 雪のひとひら

「泉鏡花集」を開くみや

  さて、今日のみやが開いていたのは、ポール・ギャリコの『雪のひとひら』(矢川澄子訳 新潮社)。1950年代に書かれたアメリカのファンタジーでした。初版の日本語訳が出たのが1975年(昭和50)、みやにはじゅうぶん大昔の物語です。
  高い空の上で生まれた雪のひとひらが、山里に降り、春が来て、川を流れ、水滴に混じり、いろいろな出会いのなかで雨水と“結婚”し、苦しいこと喜ばしいことにさまざま出会いながら旅を続けてやがて海に流れ入り、最後は蒸発して空へ帰るというもの。科学的に言えば水の変態を扱いながら、それに女性の一生を重ねて、彫琢された詩のような言葉で淡々と綴られる物語です。訳者矢川澄子によって日本に初めて紹介されたのが1970年代であったこともあり、主題を女性の生き方に引き寄せてフェミニズムの問題にからめて解釈されることも多かった作品ですが、虚心に読めばやさしい寓話です。雪の一片、いずれははかなく消えてゆく小さな存在であっても、この世にある間は悩みながら苦しみながらでもその時その時の役割を果たし、その場所に必要な存在として努力することができた、そして、それを喜びとして終わることができるささやかな一生に、大きな感動を覚えます。

1 雪
  暖冬とはいえ、今が冬のさなか、冬の詩歌に最もよく現れるものはもちろんこの雪でしょう。雪の詩歌にもさまざまな意匠があり、とりどりの表情があります。漢詩からご紹介しましょう。

銀河沙漲三千里
梅嶺花排一万株
銀河沙[いさご]漲[みなぎ]る三千里
梅嶺[ばいれい]花排[はなひら]く一万株    
(雪の降り積もった様子は、たとえば銀河の星屑が降ってきて三千里のかなたまであふれかえっているようだ。あるいは大*嶺に一万株の梅の花が一気に咲き開いているようだ)
*は「ま垂れ」に「臾」字
『和漢朗詠集』375「雪」(白居易)
註:大*嶺は五嶺の一嶺、梅の名所。梅は白梅であると分かる。

暁入梁王之苑 雪満群山
夜登*公之楼 月明千里
暁[あかつき]梁王[りやうわう]の苑[その]に入れば雪群山に満てり
夜*公[ゆうこう]が楼に登れば月千里に明らかなり
 *は「ま垂れ」に「臾」字
(暁に梁王の兎苑に入ってみれば、雪が山々に降り満ちて真白だ。夜に*公の南楼に登って望めば、白い月光が千里の彼方までも明るく照らしている)
『和漢朗詠集』374「雪」(白居易)

  雪は月と取り合わせられることが珍しくありません。月の光は白いものと歌われるのが常で、白い雪との対照や調和でも面白がられたのです。雪、月、と取り合わせるとしたら、もう一つ花を忘れるわけにはゆきません。

琴詩酒友皆抛我
雪月花時最憶君
琴詩酒の友 皆我を抛[なげう]つ
雪月花の時 最も君を憶[おも]ふ
(かつては琴を弾き、詩を作り、酒を汲んで友と遊んだ。その友はみな私を置いて行ってしまった。雪の時、月の時、花の時がめぐって来るたび、大勢の中でもことに君のことが思い起こされる)
『和漢朗詠集』734「交友」(『白楽天詩後集』「寄殷協律」より)

  白居易が友人殷協律(いんきょうりつ)に詠んだ詩です。「雪月花」はこの詩が紹介されてから、日本の文芸にことに愛好される言葉になりました。もともとは雪・月・花それぞれが美しい時期を意味し、四季の折々といった意味あいで使われたわけですが、我が国の詩歌ではこの美しいものを三つ併(あわ)せ詠むことも好まれました。はじめは「花」は梅花が詠まれました。古い例は『万葉集』にあります。

宴席に雪月梅花を詠む歌一首
雪の上に照れる月夜[つくよ]に梅の花折りて贈らむ愛[は]しき子もがも 大伴家持  
『万葉集』4134

梅は奈良時代に大陸から輸入された渡来植物です。当時の梅はみな白梅でした(平安時代になっても紅梅は珍しく、「梅」とは区別して「紅梅」と呼ばれています)。和歌の伝統では(白)梅は雪にたとえられ、月光は雪あかりに混じると言われ、白い花は月光に紛れて見えないと詠まれることもしばしばでした。ですから、この歌は徹底して白い光にこだわった取り合わせと言えます。後に『枕草子』に語られる村上帝時代の「雪月花」の挿話も梅の花でした。

「村上の前帝の御時に、雪のいみじう降りたりけるを、様器に盛らせ給ひて、梅の花をさして、月のいと明かきに、『これに歌よめ。い????????かがいふべき』と兵衛の蔵人に賜はせたりければ、『雪月花の時』と奏したりけるをこそ、いみじうめでさせ給ひけれ。『歌などよむは世の常なり。かく折にあひたることなんいひがたき(歌など詠んで返答するのはありふれている。このように時宜にかなった気の利いたことをなど、なかなか言えるものではない)』とぞおほせられける。」
『枕草子』百八十二段(三巻本では百七十三段)

この女官兵衛の蔵人(ひょうえのくろうど)の「雪月花の時」という答は、もとの白居易の詩でこれに続く「最も君を憶ふ」を想起させるところに機知があります。ズバリ言わずに相手が察するように導くというやり方は、とかく露骨を嫌った平安貴族の趣味にも適って長くもてはやされるエピソードとなりました。もとより説明しすぎるのは野暮になりますから、一見謎かけにも見えるようなこうした短い返答は古今東西を問わず文人好みではありましょう。
  やがて、「雪月花」の「花」は貴族の好みの移り変わりに従って梅から桜に移ってゆきますが、「雪月花」の風流は中身を梅から桜に変えたばかりで、そのまま今日まで受け継がれています。

   [釈文]
     閑談
         御歌所寄人正臣
    つきといひ
     はなともいふは
       しきしまの
     みちをしづかに
         かたるともかも
        
2月  
  下界の景色に雪があっても、なくても、寒中の月はその冴えざえとした光がほかの季節にはない魅力でしょう。雪と並んで冬を代表する景物です。有明けの月がよく詠まれるのはこの冴えた月を際だたせるためかもしれません。

湖上冬月
志賀の浦や遠ざかりゆく波間より氷りて出づる有明の月  藤原家隆
『新古今和歌集』639 冬  
 
二品法親王覚助の家の五十首の歌に、冬暁月
冴ゆる夜の雪げの空の群雲を凍りてつたふありあけの月  二条為世
『新拾遺和歌集』638 冬

  有明けの月とは、空に月を残したまま夜明けが訪れ、その明け方の空に残っている下弦の月を言います。満月の後、出が遅くなってゆく月は入りも遅れて朝の空に残るのです。陰暦月末になるにつれてどんどん細くなって消え、新月からまた新しい月を迎えます。細い鋭い月の姿が冬の凛とした季節感に呼応する上、有り明けの月がかかる夜明け方の空気こそ、この季節の中でも一際低温の時間帯であることは言うまでもありません。

身にしむは庭火の影にさえのぼる霜夜の星の明方の空  式子内親王
『式子内親王集』冬

これは星空ですが、いかにも寒く、それゆえひとしお清浄感が漂う明け方の空です。

  これだけ詩にも歌にも詠まれる冬の月ですが、『源氏物語』には光源氏が「冬の夜の月は人に違ひてめでたまふ御心(冬の夜の月を世の評価とは違ってお好みになる御性分)」であったと、わざわざ語られる場面があります。また、『紫明抄』の註に「清少納言枕草子に云(ふ)、すさまじき物、しはすの月よ、おうなのけしやう」とあり、平安時代の共通観念に、冬の月をよくないもの、興醒めな(すさまじき)ものとする見方があったらしいことが窺われるのです。詳しい事情が知りたいものです。


有明けの月(平成14年元旦の空)

3 花 天上への回帰
  雪はその結晶の形から六花(りっか)とも呼ばれ、雪国の学校の校章はよくこの結晶の六角形をモチーフにしています。文芸上はもちろん白い花の散る姿と雪とは互いに譬えて用いられますが、雪を直接「花」と扱う詠み方もありました。

  つもる光にとく明けし  
  窓にむかひて言のはを
  選[え]りつつ居れば小簾[をす]の隙[ひま] 
  と[訪]めて散り来る六つの花
    『樅屋全集』第四巻 阪匡身編 昭和7年 

これは比田井小琴の師阪正臣が得意とした「今様」、自由詩です。文筆を業とした正臣が文を練っているとき、窓際から雪のひとひらが舞い込んできた。何でもない歌ですが、文人の机辺が窺われるほのぼのとした歌です。謹厳な教育者として明治天皇の信任も厚かった人ですが、ひとひらの雪、ひと枝の花などの扱いに独特のやさしみを感じさせるところは、人柄なのだろうと思います。




  ポール・ギャリコの『雪のひとひら』では、最後に雪のひとひらは水蒸気となって空へ帰ってゆきました。これは一人の女性の生涯にたとえられた物語の終わりとして、“死”の意味でもありました。翻訳が出たばかりの頃に私は偶然この物語に出会って多分初版を読んだのでしたが、長い時間に読み返しながら本が傷み、みやが見つけてのぞいているのは三冊目になります。しばらく読んでいませんでしたが、忘れられずにいたのは後書きに訳者が引用していた与謝野晶子の歌です。

いづくへか歸る日近きここちしてこの世のもののなつかしきころ

この歌は昭和17年(1942)の『白桜集』に見え、もちろん『雪のひとひら』とは無関係に詠まれた歌です。しかし、これほどこの読後感に親和した歌もほかに想像できません。改めて『雪のひとひら』の内容を主題に詠むとしても、これを越える佳作は難しいようにさえ思われます。与謝野晶子はかつて「後の世を無しとする身」(『若き友へ』大正7年)と述べたこともありました。いかなる宗教的にもその来世だとか、行き先に思いをかける人ではなかったはずですが、「死」を「何処かへ帰る」と表現しているのは興味深いことです。命の誕生から死までを、無意識の使命を帯びてこの世に降り立ち、やがて果たしてどこか知らない所へ帰ってゆくと捉える感じ方に、私は今も不思議に強い共感を持っています。『源氏物語』に

遅れじと空ゆく月をしたふかなつひにすむべきこの世ならねば(総角)

とあるのも、天上の月を仰ぎつつ、この世をいっときの住み処と感じる人間の歌です。この今をいっときの住み処であるという同じ感じ方が、あるときは無常観に、あるときは『雪のひとひら』のようにむしろ積極的な生の賛歌にと通じるのはまことにおもしろいことです。

  ポール・ギャリコは猫を主人公にしたファンタジーでも有名な作家でしたから、いづれみやにも『ジェニー』(ポール・ギャリコの代表作)のことは話しましょう。そう思ってふと探すと、みやはのんきに昼寝中でした。たしかに明治の小学生から歌われ続けている「ゆき」でも、この季節、猫のすることは決まっていました。


文例(※は本文中に記事あり。漢詩は本文中に書き下し文および大意あり。)

漢詩
※銀河沙漲三千里
 梅嶺花排一万株 
 『和漢朗詠集』375「雪」(白居易)

※暁入梁王之苑 雪満群山
 夜登*公之楼 月明千里
 *は「ま垂れ」に「臾」字
 『和漢朗詠集』374「雪」(白居易)

※琴詩酒友皆抛我
 雪月花時最憶君
『和漢朗詠集』734「交友」(『白楽天詩後集』「寄殷協律」より)

和歌
※宴席に雪月梅花を詠む歌一首
 雪の上に照れる月夜[つくよ]に梅の花折りて贈らむ愛[は]しき子もがも 大伴家持『万葉集』4134

・氷閉じ石間の水は行きなやみ空澄む月の影ぞ流るる  『源氏物語』(朝顔・紫の上の歌)註:影は光のこと。月影は月光

※志賀の浦や遠ざかりゆく波間より氷りて出づる有明の月 藤原家隆
『新古今和歌集』639 冬 

※身にしむは庭火の影にさえのぼる霜夜の星の明方の空 式子内親王『式子内親王集』冬
  
※二品法親王覚助の家の五十首の歌に、冬暁月
冴ゆる夜の雪げの空の群雲を凍りてつたふありあけの月 二条為世『新拾遺和歌集』638 冬

・吹く風に散りかひくもる冬の夜の月の桂の花の白雪 後二条院『後二条院御集』冬 月前雪

・てる月の影の散り来る心地してよるゆく袖にたまる雪かな 香川景樹『桂園一枝』(嘉永2年)冬歌

※月といひ花ともいふはしきしまの道をしづかに語る友かも 阪正臣『短冊懐紙の書方』(昭和5年)

※いづくへか歸る日近きここちしてこの世のもののなつかしきころ 与謝野晶子『白桜集』(昭和17年)

近現代詩

・「雪」文部省唱歌 明治44年
 雪やこんこ 霰やこんこ
 降っては降ってはずんずん積もる
 山も野原も綿帽子かぶり
 枯れ木残らず花が咲く

 雪やこんこ 霰やこんこ
 降っても降ってもまだ降りやまぬ
 犬は喜び庭駈けまわり
 猫は炬燵で丸くなる 

※つもる光にとく明けし 窓にむかひて言のはを
 選[え]りつつ居れば小簾[をす]の隙[ひま] と[訪]めて散り来る六つの花
『樅屋全集』第四巻 (阪匡身編 昭和7年) 
 
・太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。(句読点本のまま)  三好達治 『測量船』(昭和五年)

散文
・降るものは(何がすてきかというと)。雪。霰。霙[みぞれ]はにくけれど、白き雪のまじりて降る、をかし。『枕草子』二百五十段

・冬の夜いみじうさむきに、うづもれ臥して聞くに、鐘の音の、ただ物の底なるやうにきこゆる、いとをかし。『枕草子』七十三段 しのびたる所にありては

・雪は、桧皮葺、いとめでたし。すこし消えがたになりたるほど。また、いと多うも降らぬが、瓦の目ごとに入りて、黒うまろに見えたる、いとをかし。『枕草子』二百五十一段

・雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などして集りさぶらふに、「少納言よ、香爐峯の雪いかならん」と仰せらるれば、御格子あげさせて、御簾を高くあげたれば、わらはせたまふ。『枕草子』二百九十九段

・月は隈なきに、雪の光あひたる庭のありさまも昔のこと思ひやらる。『源氏物語』賢木

・夜明け方になりにけり。月の曇りなく澄みまさりて、薄雪少し降れる庭の、えならぬさまなり。『源氏物語』初音

・雪ただいささかづつうち散りて、空の道さへ艶なり。『源氏物語』行幸

・月さし出でて、薄らかに積もれる雪の光りあひて、なかなかいとおもしろき夜のさまなり。『源氏物語』朝顔

・冬の夜の澄める月に雪の光りあひたる空こそ、あやしう色なきものの、身にしみて、この世のほかのことまで思ひ流され、おもしろさもあはれさも残らぬ折なれ。『源氏物語』朝顔 

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