みやと探す・作品に書きたい四季の言葉

連載

第19回 心づくしの秋:初秋 秋興

「泉鏡花集」を開くみや

1 秋を見つける


19.9.21(東京都清瀬市)

  だれかさんが だれかさんが
  だれかさんが 見つけた
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた
    目かくし鬼さん 手のなる方へ
    すましたお耳に かすかにしみた
    呼んでる口笛 もずの声
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた

      「小さい秋見つけた」第1連 サトウ・ハチロー(昭和30年)

  秋の気配があたりを静かに占めてまいりました。例年より格段に暑かった夏のあと、このところはめっきり涼しくなったように感じておりましたが、これでもいつもの同じ時期よりはまだ気温は高めなのだということです。それでも空の色、雲の姿、川面の陽光、いつの間にか咲いている花はあきらかに秋のものです。
   陰暦時代は季節は暦に従って推移するものとされ、それぞれの期間も単純に3ヶ月ずつに区分されていましたが、ここまで過ごした夏の3ヶ月と秋の3ヶ月には収まるものの量に随分差があるような気がします。これは、季節を見つめる人間の側の気持ちの細かさというべきでしょう。まず秋が来るのを夏の終わりから待っているのですから。



19.9.21(東京都清瀬市)

  サトウ・ハチローの書いた「小さい秋見つけた」は、ちょうど今頃、初秋の頃になると思い出される歌です。この歌は、すっきりと冷えた空気と静謐と、小さいけれどよく響く物音でできています。耳を澄ましながら歌うのが似つかわしく思われるような歌です。子供の頃の記憶に、歌の背景には幻想的な藤代清治の影絵がありました。多分テレビでも見たのでしょうし、子供用の歌の本にも載っていました。三角の帽子を被り、尖ったブーツを履いた森の妖精や、その妖精と同じ目をした黒い猫。妖精は横笛を吹いていました。猫は踊っていたのだったかも知れません。昭和30年に発表された歌ですから、同じ年に生まれた人はもう50才を過ぎました。健康を損じて志半ばにして退いた安倍晋三元総理大臣がこの歌とほとんど同い年です。生き物は時に支配されるもの、宿命の生老病死のもとにありますが、歌は老いることなく、これからもみずみずしく優しい秋を奏で続けるでしょう。黒い影絵の妖精も猫も、可愛い子供の姿のまま、歌の森の奥で今も遊んでいるような気がします。


19.9.14(東京都清瀬市)

2 心づくしの

  「春秋の定め」と言って、春と秋とのどちらが優れているかを議論するのは平安時代から続く風流談義の一大テーマでした。文学の歴史においても四季の中で春と秋とはほかの季節より格別人気が高いのです。寂しく厳しい冬の後に花開く季節として迎える春と、やはり亜熱帯並の過酷な暑さの後に涼風を運ぶ秋とは、その始まりにおいていづれも人の生理に心地よい条件を持っています。しかし季節の本領は無論そこに展開する風情にあります。花咲き鳥歌う春が、自然という入れ物の紐を解いたような賑やかさと豊かさを誇るのに対して、秋の本性はその拡げられた自然の様々にそれぞれの結末が訪れ、収束し、定まった姿に決着を見るところにあると言えます。それは別の見方をすれば、時間の法則に従った収穫と枯死。最後には盛んであったものが衰え、数を減らし、あるいは死に、鎮まりゆく現実の摂理です。乏しく寂しい方向に向かうこの季節は、冷えて行く大気の中で人に月を仰がせ、命の限りあることや運命の冒しがたいことを思わせて哲学を導きました。春に無い秋の魅力とは、おそらくそのようにして人に迫り、ものを思わせる力でありましょう。


19.9.25仲秋満月(東京都清瀬市)

  木の間より漏り来る月の影見れば 心尽くしの秋は来にけり
    『古今和歌集』184 詠み人知らず

この「心尽くし」とは現代語の「心づくし」とは微妙に違います。文字通り心を尽くす(他動詞・尽きさせる、限界まで極まらせる)こと。ここでは、とりどりの情趣で人を感慨の虜[とりこ]にし、あるいは思索に誘い、精神の力を使い果たさせる、そういう「秋」が来た、という意味になります。そのようなもの言いで間接的に季節の絶大な魅力を暗示し、さやかな月の光の中にそれを讃歎する歌になっています。
   心づくしの秋はいよいよこれからです。



19.9.23(東京都清瀬市)

【文例】

[漢詩]

・秋思  宋 陸游
 烏*1微丹菊漸開  *1は木偏に「臼」字
 天高風送雁声哀
 詩情也似并刀快
 *2得秋光入巻来  *2は「前」字の下に「羽」字
  烏*1[うきう]微[かす]かに丹[あか]く、菊漸[やうや]く開く
  天高く風は送る雁声[がんせい]の哀[かな]しきを
  詩情也[ま]た似たり并刀[へいたう]の快[するど]きに
  秋光を*2[き]り得て巻[くわん]に入れ来たる

・感秋  宋 楊万里

 平生畏長夏
 一念願清秋
 如何遇秋至
 不喜却成愁
 書冊秋可読
 詩句秋可捜
 永夜宜痛飲
 曠野宜遠遊
 江南萬山川
 一夕入寸眸
 請*3雙行纏  *3は「辛」を左右にして「力」をはさんだ字、          
「ととのえる」意。
 何處無一丘
  平生長夏[ちやうか]を畏[おそ]れ
  一念清秋を願ふ
  如何[いかん]ぞ秋の至るに遇[あ]へば
  喜ばずして却つて愁ひを成すや
  書冊は秋に読むべく
  詩句は秋に捜すべし
  永夜は宜しく痛飲すべく
  曠野は宜しく遠遊すべし
  江南萬山川[ばんざんせん]
  一夕[いつせき]寸眸「すんぼう」に入る
  請ふ双行纏[さうかうてん]を弁ぜよ
  何[いづ]れの処にか一丘[いつきう]無からん

[和歌]

・木の間より漏り来る月の影見れば
 心尽くしの秋は来にけり
  『古今和歌集』184 詠み人知らず

・いつはとは時は分かねど秋の夜ぞ
 もの思ふことの限りなりける
  『古今和歌集』189 詠み人知らず

・秋はなほ夕まぐれこそただならね
 荻[をぎ]の上風[うはかぜ]萩[はぎ]の下露[したつゆ]
  『和漢朗詠集』229 藤原義孝

・眺むるに物思ふことの慰むは
 月は憂き世の外[ほか]よりや行く
  『拾遺和歌集』434 為基入道

・秋の夜の月に心のあくがれて
 雲居[くもゐ]にものを思ふころかな
  『詞花和歌集』104 花山院


[散文]

・春秋のあらそひに、昔より秋に心寄する人は数まさりけり。
 「源氏物語」野分

・唐土[もろこし]には春の花の錦に如くものなしと言ひはべめり。大和言の葉には秋のあはれを取り立てて思へる、いづれも時々につけて見たまふに、目移りて、えこそ花鳥の色をも音をもわきまへはべらね。
「源氏物語」薄雲

・「沙羅の花」より抜粋  芥川龍之介

空には薄雲が重り合つて、地平に近い樹々の上だけ、僅[わづ]かにほの青い色を残してゐる。そのせゐか、秋の木の間の路はまだ夕暮れが来ないうちに、砂も、石も、枯草も、しつとりとぬれてゐるらしい。いや、路の右左に枝をさしかはした篠懸にも、露に洗はれたやうな薄明りが、やはり黄色い葉の一枚毎にかすかな陰影を交へながら、懶[ものう]げに漂つてゐるのである。
  ◎「東洋の秋」と題して『女子新国文』(大正12年)に収録

・「秋が来た」  野口米次郎(大正12年)

 わづか二三日のことで、
 空気が金びかりし始めました。
 白羽二重をその中にさらしたなら、
 きつと黄色に染まりませう。
 今わたしは廊下の障子をあけ、
 十月なかばの空気を吸つて、
 その甘いのに驚いてゐると、
 どこからか無数の赤い蜻蛉が飛んで来て、
 わたしの眼の前で入交り、
 黄金の空気を波うたせます。

 沢山ある花の中で、わたしは木犀を一番すきます。
 葉の下から小さい内気な花が咲いて、
 人の知らないまに散つてしまふ。
 暑い夏から咲とほして来た百日紅も、
 今は二つ三つの花が残つてゐるばかりでございます。
 しばらく雨が降らないので、
 伽羅の黒びかりする葉もよごれ、
 廊下に懸けたカーテンの染[しみ]が特に目立つて来ました。
 地面ももはや薄ら冷たいので、
 けふは一疋の蟻さへ出てまゐりません。
 あゝ、秋が来ました。わたしのすきな秋が来ました。
 わたしが座敷から澄みきつた紫色の空を眺めてゐると、
 いつのまにやらわたしの目は見えなくなつて、
 わたしの耳へ過行く「時[タイム]」の足音のみが響いてくるやうに覚えます
 どうんどうんと御存知の「時」の足ぶみが。

 [近現代詩・訳詞]

・「夕方の食事」より第5・6・7(最終)連  シャアル・ゲラン
 永井荷風訳『珊瑚集』

 かしこにぞ、秋の空は紅[くれなゐ]に悲しめる。あゝ、長閑[のどか]なるなつかしき此の恋の一刻[いつこく]よ。いつしかに黄昏[たそがれ]は、花瓶[はながめ]の面[おもて]にうつる空の色、二人が瞳子[ひとみ]をくもらして、さゝやかの二人が世界の、物の彩色[あいろ]を消して行く。

 わが顔[かほ]押しあてし、恋人の胸はとどろけり。吹く風ぬれたる木立を動かせば、想[おもひ]に沈める二人は共に突[つ]とさめて、木[こ]の実の庭に、落つる響に耳を澄ます。

 かくて、吾等二人は、過来[すぎこ]し方[かた]をふりかへる旅人か。また暮れ行く今日[けふ]の一日[ひとひ]を思ひ返[かへ]して、燃え出づる同じ心の祈祷[きたう]と共に、その手、その声[こゑ]、その魂[たましひ]を結びあはしつ。

・「秋」(大正5年)  高橋元吉

 秋が来た
 空を研[と]ぎ雲を光らせて
 浸み入るやうにながれてきた
 すべてのものの外皮が
 冴えわたつて透きとほる
 魂[たましひ]と魂とがぢかにふれあふ
 みな一様[いちやう]に地平の涯[はて]に瞳をこらす
 きみはきかないか
 万物が声をひそめて祈つてゐるのを

 どこかに非常にいゝ国があるのを感じてゐるのだ!


・「秋風」  尾崎喜八

 けさはやく井戸端[ゐどばた]で、
 まつさをな空に、
 秋風の高いひびきを私はきいた。
 おお蔓草の葉のむれに日は落ちこぼれ、
 藤むらさきの物のかげ
 さはやかに地をぬらす初秋よ!
 水晶[すいしやう]に似てつめたく、すきとほり、かつ清らかなもの、
 肉身とたましひとにひとみをあけて静かにそだつ初秋よ!
 天空に風がふきならす狩猟の角笛[つのぶえ]をきき、
 地に青苔の石をなでる黄金の縞をもつ水[みづ]を見る。
 心は新しい善を願ひ、
 精神はかぎりない飛躍を欲し、
 堅きがゆゑにくだかんとする気魄、
 未来の一切を現在に集結してこれに突き進む。
 『高層雲の下』(大正13年)所収

・「秋風」(大正13年頃か)  陶山篤太郎

 道のはづれ、野のはづれだ
 秋は魂にしみるほど深い
 背中にこぼれるのは秋風の音だ
 哲学は、もう玩具である
 人情にまかせて
 落葉を痛む日だ。
  ◎表記は『日本詩人全集32』(新潮社、昭和44年)に拠る。

・「銀杏[いてふ]」  西条八十

 十月の朝[あした]の辻に
 並びたつ四本の銀杏。

 ゆきすぎて、またふりかへる
 青空の日光[ひかげ]はうすし。

 ああ神も寂しきときは
 *[かく *は「鬲」を偏に「羽」字]とりてうたひたまふか。

 十月の朝の空の
 燦[かがや]けき金の四行詩。
 蝋人形』(大正15年)所収

・「夕[ゆふべ]」  西条八十

 想[おもひ]はかなく門[と]をとざす、
 けふも草家[くさや]の門をとざす、
 落葉のみちに黒鶫[つぐみ]
 終止符のごとく蹲[うづくま]る。
   『一握の玻璃』(昭和22年)所収


[唱歌・童謡]

・赤とんぼ  三木露風
 一
  夕やけ子やけの 赤とんぼ
  負はれて見たのは いつの日か

 二
  山の畑の 桑の実を
  小籠に摘んだは まぼろしか

 三
  十五で姐[ねえ]やは 嫁に行き
  お里のたよりも 絶えはてた

 四
  夕やけ小やけの 赤とんぼ
  とまつてゐるよ 竿[さを]の先
  『樫の実』(昭和2年)所収
・七つの子  野口雨情

 烏 なぜ啼[な]くの
 烏は山に
 可愛[かはい]七つの
 子があるからよ

 可愛 可愛と
 烏は啼くの
 可愛 可愛と
 啼くんだよ

 山の古巣へ
 行つて見てごらん
 丸い眼をした
 いい子だよ
 『金の船』(大正10年)所収

・小さい秋見つけた  サトウハチロー

1.だれかさんが だれかさんが
  だれかさんが 見つけた
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた
  目かくし鬼さん 手のなる方へ
  すましたお耳に かすかにしみた
  呼んでる口笛 もずの声
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた

2.だれかさんが だれかさんが
  だれかさんが 見つけた
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた
  お部屋は北向き くもりのガラス
  うつろな目の色 とかしたミルク
  わずかなすきから 秋の風
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた

3.だれかさんが だれかさんが
  だれかさんが 見つけた
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた
  むかしのむかしの 風見の鳥の
  ぼやけたとさかに はぜの葉ひとつ
  はぜの葉あかくて 入日色
  小さい秋 小さい秋
  小さい秋 見つけた


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