みやと探す・作品に書きたい四季の言葉

連載

第3回 早春賦:立春・早春・浅い春・春の雪

「泉鏡花集」を開くみや

1 二十四節気と「年内立春」
  暖冬の今年、東京にはまだ観測される雪がないまま2月になりました。この時期になると爽快な旋律と共に思い出される歌に「早春賦」があります。  
 
  1 春は名のみの 風の寒さや
    谷の鴬 歌は思へど
    時にあらずと 声も立てず
    時にあらずと 声も立てず

  2 氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ
    さては時ぞと 思ふあやにく
    今日もきのふも 雪の空
    今日もきのふも 雪の空

  3 春と聞かねば 知らでありしを
    聞けば急(せ)かるる 胸の思ひを
    いかにせよとの この頃か
    いかにせよとの この頃か

      作詞:吉丸一昌
      作曲:中田 章
      大正2年発表

  昔の人はウグイスは冬の間は谷の中深くに休眠していて、春になると里へ出て来ると考えていました。そのウグイスの声を聞くと、ああ出てきたな、春になったな、と季節が確かめられたのです(鶯の谷より出づる声なくは春来ることを誰か知らまし『古今和歌集』14、大江千里)。春とは名ばかりで、風のなんと冷たいこと。ウグイスもまだ谷にいて、時期ではないと声も立てない。それではなぜそんな時節をあえて春の名で呼ぶのでしょう。それは立春が来たからです。古い時代、私たち日本人は時間は暦に従って循環するものと捉えていました。どんなに寒くても、さらに雪が舞っても、立春が来たらその日からは春。そして一年という時間の経過は前の年とまた同じ季節がめぐり来ることで真に実感されたのです。季節とは地球が太陽の周りを一周する間に移り変わる気象の変化にほかなりません。時間としてみれば、四季のひとめぐりは地球の公転に要する長さ(365,2422日)に等しいのです。この季節のひとめぐりを二十四等分して折々の標象としたのが二十四節気です。中国の古代天文学が編み出した方法です。二十四節気の全容にはすっかり疎くなった今日の私たちにも、立春や春分、秋分、冬至、大寒などといった言葉はいかにも季節の節目と感じられて親しみ深いものです。

 立春を今年のカレンダーの上に探すと、2月4日がその日です。閏年などがあってもこの日付は二日程度を前後するだけで毎年ほぼ同じころになります。それは、現行暦と二十四節気がどちらも地球の公転周期(一循環365,2422日)を基とするため、ひとめぐりの日数において同じ体系を持っているからです。この暦を用いる前、明治5年(1872)に改暦されるまで、私たちの国は月の満ち欠けを基準とする太陰太陽暦(いわゆる陰暦・旧暦)を採用していました。一カ年を354日とする陰暦の体系は公転に要する時間とは一周について11日分あまりも差のあるものでしたから、日付は年々少しずつ季節とずれてゆくことになります。そこで、季節の運行をたどる、いつの年も変わらない指標として二十四節気が暦と並行して用いられたのです。
  四季の循環は立春から始まるので、原理としては立春と陰暦の正月一日は一致するものとされました。しかし当然のこととして、立春や春分などといった二十四節気の指標は、陰暦の上では年ごとに違った日付で訪れました。実際に元日が立春(正月節)に重なった年はそう多くありません。暦上はまだ12月のうちに立春が繰り上がってしまう年もありました。これを年内立春と言います。珍しいことではありませんでしたが、年の始めの目印が、暦に裏付けられた正式の新年の前に位置するという不整合には、独特の面白さがあるほかに、人間が従うしかない時の流れや、それを重ねることによる寿命の問題にも関わって独特の感慨をもたらしました。「古今和歌集」も「和漢朗詠集」も年内立春を詠んだ作品が巻頭の第一首を飾っています。そののちも明治5年の改暦まで、「年内立春」は文芸のテーマとして確立された題材でした。

  旧年(ふるとし)に春立ちける日詠める
 年の内に春は来にけり一年[ひととせ]を去年[こぞ]とやいはむ
 今年とやいはむ    在原元方 『古今和歌集』1春上 

 逐吹潜開 不待芳菲候
 迎春乍変 将希雨露恩 
 吹[かぜ]を逐[お]うて潜[ひそ]かに開く 芳菲[はうひ]の候を待たず
 春を迎へて乍[たちま]ちに変ず 将に雨露の恩を希はむとす
(立春の風につれて、人知れず梅の花が開きかける。梅は百花が咲き満ちる
 春(正月)を待ってはいない。暦の上で春を迎えるや、たちまちつぼみを
 ほころばせ、本当の春になったとき、雨露の恵みを十分に受けようとする)
      『和漢朗詠集』1「立春」
      (『和漢朗詠集』に記載はないが紀淑望作と知られている)

 実は、今年もその「年内立春」の年なのです。さあ今年のカレンダーを陰暦に置いて見てみましょう。立春にあたる2月4日は陰暦ではまだ12月の17日です。明治5年以前の人ならば、年の瀬に向かって用を急ぐ頃であったでしょう。そして正月一日(ついたち)になるのは現行暦の日付でさらに二週間後の2月の18日になってからです。立春になって、春は来ているけれど、暦の上ではまだ年末であるという、「年内立春」とはこのような空気をいうのでした。


角ぐむ葦の芽

2 春の雪
  立春が来ると、まず東風が吹く、風に山の氷が解け始める、水が動き出すというのが最も早い春の兆(きざ)しでした。このもとになったのは『礼記』です。「早春賦」の2番にも水辺の風景を歌って「氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ」とあります。「角ぐむ」というのは、葦の芽が水の中からちょうど角のように尖って突き出してくる姿を表してみずみずしく美しい表現です。漢詩にも「蘆錐(ろすい)」という言葉があって、同じように葦の芽ぐみを表しています。これは錐ですからもっと鋭い比喩です。花は梅がほころび始めます。しかし、まだ寒さは残り、ともすれば雪も舞います。立春のあとの雪は「春の雪」として浅い春の象徴になります。寒さがゆるんだ中に降るこの季節の雪は水分が多く、宙を白く降りてきても久しく地面にとどまりません。歌でも常に消えやすい雪として詠まれます。うたかた(泡沫)のように消える雪と捉えられて、古く『万葉集』などでは「あわ(泡)ゆき」という即物的な表記で用いられました。平安時代になると、厳寒期の厚く白く降り積もる雪に較べてうっすらと淡い雪であると捉えられるように変わって、表記も「あは(淡)ゆき」とされることが多くなりました。雪の状態としては「あわゆき」も「あはゆき」も同じものを指しています。春の雪には、はかなく消える雪のあわれと近づく春への期待が重ねられて、清浄な叙情が漂います。このところ、みやがまつわっていたのはなんと『春の雪』(三島由紀夫著)。去年の夏遅く生まれたみやはまだ雪を見たことがありません。こんな冬を過ごしてこれから降る雪には、また異なった「春の雪」の風情があるかもしれません。

 春の雪

  みささぎにふるはるの雪
  枝透きてあかるき木々に
  つもるともえせぬけはひは

  なく声のけさはきこえず
  まなこ閉ぢ百ゐむ鳥の
  しづかなるはねにかつ消え

  ながめゐしわれが想ひに
  下草のしめりもかすか
  春来むとゆきふるあした   
        伊東静雄『春のいそぎ』より

  三島由紀夫の最後の作品になった『豊饒の海』四部作は、古典に造詣の深かった作者が平安時代の作者不明の物語『浜松中納言物語』を典拠に書いた夢と転生の物語です。その幕開けとなる第一巻『春の雪』は四部作の中でも際だって美しい恋愛小説ですが、タイトルの想にはこの伊東静雄の詩があったと言われます。春の雪はたちまち消えてしまう、浅い春のそのはかなさだけをもっと端的に詩想に用いた作品もあります。

 浅き春に寄せて

  今は 二月 たつたそれだけ
  あたりには もう春がきこえてゐる
  だけれども たつたそれだけ
  昔むかしの 約束はもうのこらない

  今は 二月 たつた一度だけ
  夢のなかに ささやいて ひとはゐない
  だけれども たつた一度だけ
  その人は 私のために ほほゑんだ

  さう! 花は またひらくであらう
  さうして鳥は かはらずに啼いて
  人びとは春のなかに 笑みかはすであらう

  今は 二月 雪の面につづいた
  私の みだれた足跡……それだけ
  たつたそれだけ------私には……   
           十四行詩 立原道造

  最後に、春の雪を詠みながらどこか暖かみのある、その意味でもいかにも早春の気配にふさわしい比田井小琴の作品をご紹介しましょう。

 [釈文]
  鶯のねぐらやさえむたけのはのしげくなふりそ春のあわゆき
  (ウグイスのお家は寒いのではないかしら、あまりひどく降らないでね、
   春のあわゆきよ)   比田井小琴『をごとのちり』(昭和9年刊行)春雪


【文例】(※は本文中に記事あり。※漢詩は本文中に書き下し文および大意あり。)

漢詩・漢籍

※・逐吹潜開 不待芳菲候
  迎春乍変 将希雨露恩 
    『和漢朗詠集』1「立春」

 ・「京中正月七日立春」
  一二三四五六七 万木生芽是今日
  遠天帰雁払雲飛 近水遊魚迸氷出
   一二三四五六七(いちにさんしごろくしち)
   万木[ばんぼく]芽を生ずるは是れ今日[こんにち]
   遠天[えんてん]の帰雁 雲を払つて飛び
   近水[きんすい]の遊魚 氷を迸[と]ばしりて出づ   羅隠(らいん)
         註:咸通九年(868)正月七日を詠んだもの

 ・東風解凍,蟄蟲始振,魚上冰,獺祭魚。
   東風凍[こほり]を解き、蟄虫始めて振[ふる]ひ、魚氷に上る。
     『礼記』月令

 ・氷消田地蘆錐短
  春入枝条柳眼低
   氷[こほり]田地[でんち]に消えて蘆錐[ろすい]短し
   春枝条[しでう]に入つて柳眼[りうがん]低[た]れり
     『和漢朗詠集』9「早春』元*(げんしん)*は ノギ偏に「眞」字

和歌
※・年のうちに春は来にけりひととせを去年[こぞ]とやいはむ今年とやいはむ
  紀友則『古今和歌集』1 

※・花をのみいそぐを人の心とてとしのうちより春は来にけり
  熊谷直好『浦のしほ貝』年内立春

※・鶯の谷より出づる声なくは春来ることを誰か知らまし
  大江千里『古今和歌集』14

 ・あさみどり春立つ空にうぐひすのはつこゑまたぬ人はあらじな
  麗景殿女御『和漢朗詠集』73

 ・三島江に角ぐみわたる葦の根のひとよのほどに春めきにけり
  曽祢好忠『後拾遺和歌集』42

 ・梅が枝に鳴きて移ろふ鶯[うぐひす]の翼[はね]白栲[しろたへ]に
  沫雪[あわゆき]ぞ降る 『万葉集』 1840

 ・梅が枝に春と鳴きつる鶯[うぐひす]の行くへも知らず雪はふりつつ
  香川景樹『桂園一枝』 

 ・花とのみふりくる雪は如月[きさらぎ]の梅のにほひをからんとやする
  熊谷直好『浦のしほ貝』

※・鶯[うぐひす]のねぐらやさえむたけのはのしげくなふりそ春のあわゆき
  比田井小琴『をごとのちり』
 
近現代詩

※・早春賦 
  1 春は名のみの 風の寒さや
    谷の鴬 歌は思へど
    時にあらずと 声も立てず
    時にあらずと 声も立てず

  2 氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ
    さては時ぞと 思ふあやにく
    今日もきのふも 雪の空
    今日もきのふも 雪の空

  3 春と聞かねば 知らでありしを
    聞けば急(せ)かるる 胸の思ひを
    いかにせよとの この頃か
    いかにせよとの この頃か
  作詞:吉丸一昌
  作曲:中田 章
  大正2年発表


※・春の雪  伊東静雄『春のいそぎ』より

  みささぎにふるはるの雪
  枝透きてあかるき木々に
  つもるともえせぬけはひは

  なく声のけさはきこえず
  まなこ閉ぢ百ゐむ鳥の
  しづかなるはねにかつ消え

  ながめゐしわれが想ひに
  下草のしめりもかすか
  春来むとゆきふるあした 


 ・なかぞらのいづこより  伊東静雄『春のいそぎ』より

  なかぞらのいづこより吹きくる風?????????????ならむ
  わが家[いへ]の屋根もひかりをらむ
  ひそやかに音変ふるひねもすの風の潮や

  春寒むのひゆる書斎に 書よむにあらず
  物かくとにもあらず
  新しき恋や得たるとふる妻の独り異(あや)しむ

  思ひみよ 岩そそぐ垂氷をはなれたる
  去年[こぞ]の朽葉[くちば]は春の水ふくるる川に浮びて
  いまかろき黄金[きん]のごとからむ 
 

 ・小曲  伊東静雄『春のいそぎ』より

  天空(そら)には 雲の 影移り
  しづかに めぐる 水ぐるま
  手にした 灯(ともし) いまは消し
  夜道して来た 牛方と 
  五頭の牛が あゆみます

  ねむたい 野辺の のこり雪
  しづかに めぐる 水ぐるま
  どんなに 黄金(きん)に 光つたろ
  灯の想ひ 牛方と
  五頭の牛が あゆみます

  しづかに めぐる 水ぐるま
  冬木の うれの 宿り木よ
  しとしと あゆむ 牛方と
  五頭の牛の 夜のあけに
  子供がうたふ をさな歌


 ・沫雪  伊東静雄『夏花』より第一連

  冬は過ぎぬ 冬は過ぎぬ。匂ひやかなる沫雪の
  今朝わが庭にふりつみぬ。籬、枯生(かれふ) はた菜園のうへに
  そは早き春の花よりもあたたかし。

 ※浅き春に寄せて  立原道造 十四行詩 

  今は 二月 たつたそれだけ
  あたりには もう春がきこえてゐる
  だけれども たつたそれだけ
  昔むかしの 約束はもうのこらない

  今は 二月 たつた一度だけ
  夢のなかに ささやいて ひとはゐない
  だけれども たつた一度だけ
  その人は 私のために ほほゑんだ

  さう! 花は またひらくであらう
  さうして鳥は かはらずに啼いて
  人びとは春のなかに 笑みかはすであらう

  今は 二月 雪の面につづいた
  私の みだれた足跡……それだけ
  たつたそれだけ------私には…… 

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