みやと探す・作品に書きたい四季の言葉
連載
「泉鏡花集」を開くみや
1 潮騒の響き
わたしの耳は貝のから
海の響きをなつかしむ
ジャン・コクトー「カンヌ」より「耳」
堀口大学訳
「海の日」という祝日が制定されてかなりになりますが、例年梅雨が明けるかどうかの際どい時期で、行楽にはあまりたしかな休日になりません。今年は梅雨が明けていないことはともかく、7月としては記録的な規模の台風に見舞われ、各地から、特に西日本からは、風雨による大きな被害が報道されました。関東もとても海で遊べる日和ではありませんでしたね。しかし、雨が止めば日射しはぎらぎらとすでに真夏。コクトーの詩の一節がふと思い出される潮騒の季節はもうすぐそこです。このたびは海の詩文のいくつか(秋・冬の海は別の機会に)を御紹介します。
2 白砂青松
海 『尋常小学校唱歌五』(大正2年)
一
松原遠[とほ]く消ゆるところ
白帆[しらほ]の影は浮かぶ
干網[ほしあみ]浜に高くして
鴎は低く波に飛ぶ
見よ昼の海
見よ昼の海
二
島山闇に著[しる]きあたり
漁火[いさりび] 光淡[あは]し
寄る波岸に緩[ゆる]くして
浦風軽[かろ]く沙[いさご]吹く
見よ夜の海
見よ夜の海
作詩者不詳のこの歌は、典雅な詩と緩やかで上品な楽曲とで今も愛唱されています。純粋な叙景だけで大和絵のような海辺を描き出し、古きよき日本の自然美を讃えます。日本の詩歌でこれだけ情意を控えたものはさかのぼってもそれほど多くはありません。それだけに、抑制されたものにしかない独特の情感が湛えられ、印象的な美しさがあります。
やはり一見叙景のようでいて、これとは全く違った美しい歌にはこのようなものもあります。
浜千鳥 鹿島鳴秋(大正8年)
一
青[あを]い月夜の 浜辺には
親を探して 鳴く鳥が
波の国から 生まれでる
濡れたつばさの 銀の色
二
夜鳴く鳥の 悲しさは
親を尋ねて 海こえて
月夜の国へ 消えてゆく
銀のつばさの 浜千鳥
これも情意を表す形容語は二番に見える「悲しさ」一語だけですが、この上なく抒情的な歌になっています。ここに歌われている情景は本当の、この世の景色なのでしょうか。波から鳥が生まれるというのも、月夜の国へ消えて行くのも、もちろん現実ではありません。波間に、月光に、見え隠れする鳥をそう表現したのか、別の何かの比喩なのでしょうか。誰がこれを見て歌っているのでしょう。実に不思議な世界を感じさせる歌です。子供の頃は美しいと感じるとともに、なんとなく怖い歌で、ひとりでは歌えませんでした。作詞者鹿島鳴秋は詩人にして劇作家、子供用の歌劇作品を残したりもしています。
3 遠い国への憧れ
うみ 林柳波「ウタノホン上」昭和16年
一
うみは ひろいな
おおきいな
月が のぼるし
日がしづむ
二
うみは 大なみ
あをいなみ
ゆれて どこまで
つづくやら
三
うみに おふねを
うかばせて
いつて みたいな
よそのくに
海の向こう、遠く見知らぬ場所への憧れは、子供の歌から大人の詩にも、古今東西を問わず共通したテーマです。
海のあなたの テオドル・オオパネル
「海潮音」上田敏
海のあなたの遙[はる]けき国へ
いつも夢路の波枕、
波の枕のなくなくぞ、
こがれ憧れわたるかな、
海のあなたの遙けき国へ。
いくたびか 木下杢太郎「抒情小吟」より抜粋
いくたびか海のあなたの遠人[をんじん]に文[ふみ]かかむと思ひ
いくたびか海のあなたの遠国[をんごく]に去らむと思ふ
今宵[こよひ]また宿直[とのゐ]の室に
海に囲まれた我が国は、この海を越えなければよその国に接することが出来ません。そのために航海の技術も未熟な古代でも遣隋使や遣唐使の試みがなされ、また同じ危険を冒してここに訪れる渡来人によって、文物の交流を得ていました。その後の長い鎖国は、そのせいで孤立し取り残されたという見方もあるでしょう、けれども、海に守られて、アジア諸国の中で極めて希なことに、欧米の植民地に一度もなることなく独自の文化を醸成して明治にまで至ったことも事実です。遣隋使・遣唐使の時代とはあらゆる面でかけ離れた今日でも、日本人が「世界」という規模でものを思う時、やはり「海外」という言葉は生きています。世界に向かうことは、日本に於いては依然として海に目をやることなのです。
輪舞[ロンド] ポール・フォール(「フランスのバラード」より)
山内義雄訳
世界のむすめが手に手をとれば、
海のまはりに輪舞[ロンド]ができよ。
世界の子供が水夫になれば、
海越えて、その船橋が綺麗に出来よ。
そこで世界の人達が、みんな手に手をとつたなら、
世界のぐるりを一周[ひとまは]り、輪舞をどりができませう。
ポール・フォール(1872〜1960)はすでに一世紀前の詩人です。海を隔て、国を異にする人々同士の理想的なつきあい方とはどのようなものか、その具体的な方法となれば、場所により民族により、またその負ってきた歴史によってさまざまな相を見なければなりません。そうそう単純に扱える問題ではありません。そうして現実の最善を求めて、今も人間は考え続けております。
ところで、このたび海の詩文を御紹介しようとして、古典漢文に適当なものが出てこないのに気がつきました。航海の詩ならあるのですが、海そのものに向かう、海を歌ったものがなかなか見つかりません。思えばかの国の文物の中心は常に都のあった内陸地域でした。古代中国の宇宙観には天蓋のような空の認識はありましたが、陸はひたすら四方に広がり、その果てで天蓋の縁にあたる空と接するとされ、海の存在は意識されていなかったと言います。伝統として海には馴染みがなく、また海の向こうに憧れるといった情緒の伝統もなかったのだなあと、改めて思ったことでした。
【文例】(※は本文中に記事あり)
[和歌]
・潮[しほ]さゐにいらこの島べこぐ船に
妹乗るらむか あらき島廻[しまみ]を
『万葉集』42 柿本人麻呂
・海原[うなはら]の沖行く船を帰れとか
領巾[ひれ]振らしけむ 松浦佐用比売[まつらさよひめ]
『万葉集』874
・ほのぼのと明石のうらの朝霧に
島隠れゆく船をしぞ思ふ
『古今和歌集』409 詠み人知らず
・海神[わたつみ]のかざしにさせる白妙[しろたへ]の
波もてゆへる淡路島山[あはぢしまやま]
『古今和歌集』911 詠み人知らず
・なみとのみひとへにきけどいろみれば
雪と花とにまがひぬるかな
『土佐日記』
[近現代詩・訳詞]
・耳※ ジャン・コクトー「カンヌ」より
堀口大学訳
わたしの耳は貝のから
海の響きをなつかしむ
・ ※海のあなたの テオドル・オオパネル
「海潮音」上田敏
海のあなたの遙けき国へ
いつも夢路の波枕
波の枕のなくなくぞ
こがれ憧れわたるかな
海のあなたの遙けき国へ。
・ ※輪舞[ロンド] ポール・フォール
山内義雄訳
世界のむすめが手に手をとれば、
海のまはりに輪舞[ロンド]ができよ。
世界の子供が水夫になれば、
海越えて、その船橋が綺麗に出来よ。
そこで世界の人達が、みんな手に手をとつたなら、
世界のぐるりを一周[ひとまは]り、
輪舞をどりができませう。
・ ※いくたびか 木下杢太郎「抒情小吟」より抜粋
いくたびか海のあなたの遠人[をんじん]に文かかむと思ひ
いくたびか海のあなたの遠国[をんごく]に去らむと思ふ
今宵また宿直[とのゐ]の室に
・ 海の入日 木下杢太郎(「明星」明治41年)
浜の真砂[まさご]に文[ふみ]かけば
また波が来て消しゆきぬ
あはれはるばるわが思ひ
遠[とほ]き岬に入日する
・ 由比浜にて 野口米次郎(「巡礼」明治42年)
*第2連
ああ、海と風の歌を掬ひあげ、
私の憧憬の心へ投げいれよ。私は水と空気の一族となりたい、
私の魂は海の魂だ、動揺の魂だ。
?抒情即興 日夏耿之介(「転身の頌」大正6年 より抜粋)
あたたかい沙[すな]のやはらかさ こまやかさ
天恵[めぐみ]ふかい太陽は
大海[おほわだ]にぴかぴか光る宝玉をばら撒いて
空に眩しい銀網[ぎんまう]をいつぱいに張りつめ
波にくちつけ 沙にまろぶ
*原詩は秋の海を歌う。
・ 海にて 西条八十(「砂金」大正8年)
星を数ふれば七つ、
金の燈台は九つ、
岩蔭[いはかげ]に白き牡蠣かぎりなく
生[あ]るれど、
わが恋はひとつにして
寂し。
・ 眼 西脇順三郎(「Ammbarvalia」昭和8年 より抜粋)
白い波が頭へとびかかってくる七月に
南方の綺麗な町をすぎる
静かな庭が旅人のために眠っている
薔薇に砂に水
薔薇に霞む心
石に刻まれた髪
石に刻まれた音
石に刻まれた眼は永遠に開く
・夜にして海べにたてば 中勘助(「琅*」昭和10年*は玉扁に「干」字)
夜にして海べにたてば よる波の音のよきかな
あめつちはさながら鼓 闇をゆすり谺[こだま]にかへす
ちよろづの星くづは 空とぶ鶴むらかも
いしたふや天はせ使 ひたはするわが思[おもひ]
人は生まれ人は死す 神もなどか滅びざらん
人は生まれ人は死す 道もなどかうつらざらん
いつはりを思ひすつれば 人の世は砂漠のごとし
とことはにいにしへいまに たえせぬは流転のすがた
[唱歌・童謡]
・われは海の子 作詞者不詳「尋常小学校本唱歌」明治43
一
我は海の子白波の
さはぐいそべの松原に
煙たなびく とまやこそ
我がなつかしき住家[すみか]なれ
二
生まれてしほに浴[ゆあみ]して
波を子守の歌と聞き
千里寄せ来る海の気を
吸ひてわらべとなりにけり
三
高く鼻つくいその香に
不断の花のかをりあり
なぎさの松に吹く風を
いみじき楽と我は聞く
四
丈余のろかひ操りて
行手定めぬ浪まくら
百尋[ももひろ]千尋[ちひろ]海の底
遊びなれたる庭[には]広し
五
幾年[いくとせ]ここにきたへたる
鉄より堅きかひなあり
吹く潮風[しほかぜ]に黒みたる
はだは赤銅さながらに
六
浪にただよふ氷山も
来たらば来たれ 恐れんや
海まき上ぐるたつまきも
起こらば起これ 驚かじ
七
いで大船を乗出して
我は拾はん海の冨
いで軍艦に乗り組みて
我は護らん海の国
・ ※海 『尋常小学校唱歌五』(大正2年)
一
松原遠[とほ]く消ゆるところ
白帆の影は浮かぶ
干網浜に高くして
鴎は低く波に飛ぶ
見よ昼の海
見よ昼の海
二
島山闇に著[しる]きあたり
漁火[いさりび] 光淡[あは]し
寄る波岸に緩くして
浦風軽[かろ]く沙[いさご]吹く
見よ夜の海
見よ夜の海
・浜辺の歌 林古渓(大正7年)
一
あした浜辺を さまよへば
昔のことをぞ しのばるる
風の音よ 雲のさまよ
よする波も かいの色も
二
ゆふべ浜辺を もとほれば
昔の人ぞ しのばるる
寄する波よ かへす波よ
月の色も 星のかげも
・※浜千鳥 鹿島鳴秋(大正8年)
一
青[あを]い月夜の 浜辺には
親を探して 鳴く鳥が
波の国から 生まれでる
濡れたつばさの 銀の色
二
夜鳴く鳥の 悲しさは
親を尋ねて 海こえて
月夜の国へ 消えてゆく
銀のつばさの 浜千鳥
・ 砂山 北原白秋(「小学女生」大正11年)
一
海は荒海[あらうみ]、向ふは佐渡[さど]よ、
すずめ啼け啼け、もう日はくれた。
みんな呼べ呼べ、お星さま出たぞ。
二
暮れりや砂山、汐鳴[しほなり]ばかり、
すずめちりぢり、又風荒れる。
みんなちりぢり、もう誰も見えぬ。
三
かへろかへろよ。茱萸原[ぐみはら]わけて、
すずめさよなら、さよならあした、
海よさよなら、さよならあした。
・かもめ 野口雨情(童謡集『螢の燈台』大正15年(1926年)6月発行
かもめ飛んだ飛んだ
かもめが飛んだ
一羽[いちは]おくれて
あとから飛んだ
海は遠いし
渚[なぎさ]は長し
かもめ飛んだ飛んだ
あとから飛んだ
一羽[いちは]はぐれて
いそいで飛んだ
海は遠いし
渚[なぎさ]は長し
・かもめの水兵さん 武藤俊子(昭和12年)
一
かもめの水兵さん
ならんだ水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波に チャップ チャップ うかんでる
二
かもめの水兵さん
かけあし水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波を チャップ チャップ 越えてゆく
三
かもめの水兵さん
ずぶぬれ水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波で チャップ チャップ おせんたく
四
かもめの水兵さん
なかよし水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波に チャップ チャップ 揺れている
・ 波 文部省唱歌(『新訂尋常小学唱歌 第三学年用』昭和7年)
一
青いうねり、
波のうねり、
生きてるやうに寄つて來て、
平らな濱に
眞白な布をしく。
かもめがとんで、
海はのどか。
ニ
をどる、をどる、
波がをどる、
生きてるやうに寄せて來て、
きりたつ岩に
散る波は瀧のやう。
かもめが鳴いて、
海は叫ぶ。
・椰子の実 島崎藤村(「国民歌謡」昭和11年)
名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子の実一つ
故郷[ふるさと]の岸を離れて
汝[なれ]はそも波に幾月
旧[もと]の樹[き]は生[お]ひや茂れる
枝はなほ 影をやなせる
われもまた渚を枕
孤身[ひとりみ]の浮寝の旅ぞ
実をとりて胸にあつれば
新たなり流離のうれひ
海の日の沈むを見れば
激[たぎ]り落つ異郷の涙
思ひやる八重[やへ]の潮々[しほじほ]
いづれの日にか国に帰[かへ]らん