王羲之(おうぎし・307〜365-異説あり)は「書聖(しょせい)」と呼ばれ、書道史上最高の書家として知られています。
王羲之の肉筆は残っていません。
羲之の書は多くの人に愛されたため、摸写や臨書、さらに石や板に刻して拓本を採るなどの方法で複製が作られました。
最初は肉筆から作られた複製でも、長い年月の間に、さらに摸写や摸刻が重ねられ、原跡とは異なった趣きになったものがほとんどです。
また、偽物もたくさん作られました。
しかし、優れた複製も今に伝えられています。
それらをご紹介するのが、「シリーズ・書の古典」の最新刊「王羲之 喪乱帖 他」(1760円)です。
どんな名品が掲載されているのか、その一部をご覧に入れましょう。
まずは、日本が誇る「喪乱帖(御物)」です。
「喪乱帖(そうらんじょう)」「二謝帖(にしゃじょう)」「得示帖(とくじじょう)」の三通からなっています。
「喪乱帖」は戦乱によって、大切な祖先の墓が壊されてしまったことを嘆く手紙です。
羲之頓首。政情が不安定で乱れており、先祖の墓がまた荒らされてしまいました。
以前からの事を思いおこしてみると、本当にひどい状況で、歎き慕うあまり、こころはくだけるばかりです。
悲痛な思いは、はらわたを貫き、この心痛をどうすればよいのでしょう。
どうしたらよいのでしょうか。
すぐに修復しましたが、まだ駆けつけてお参りができていません。
哀しみはますます深くなるばかりです。
どうしたらよいでしょう、どうしたらよいでしょうか。
これをしたためながら胸が一杯になって、何と言ったらよいのかわからないのです。羲之頓首。頓首。
みずみずしい線の表情と生命力あふれるリズム。
紙面は緊張に満ち、まるで本物の手紙を見ているようです。
比田井南谷は「その筆線は、強靱な骨格が温かみのある豊かな肉で包まれ、一つの完成された美を示している」と評しました。
(比田井南谷著『中国書道史事典』)
「二謝帖」は文字のつながりに不自然な部分があります。
文章の意味も通じないので、数点の手紙の部分をつなぎ合わせたためと言われています。
「得示帖」は、相手の病気を気遣い、自分も健康ではないことを伝える手紙です。
これらのすばらしい作品は「双鉤塡墨(そうこうてんぼく)」という方法で作られました。
線の輪郭をとり、中を埋めていく技法です。
顕微鏡写真で、その詳細を見ることができます。
左は「喪乱帖」の最終文字「頓首」の転折部分の拡大写真。
右は「得示帖」三行目第五字「故」です。
右の画像の跳ね上げた部分にご注目ください。
点線で輪郭がとられ、少し間隔を空けて、内側に細い平行線を何本もびっしりと引きつめています。
驚くべき緻密な作業によって、名品の素晴らしさが復元されていることがわかります。
墨本としては、同じく双鉤塡墨による「孔侍中帖(こうじちゅうじょう)」(前田育徳会蔵)のほか、「姨母帖」「初月帖」「遊目帖」「行穣帖」「平安帖」「何如帖」「奉橘帖」が収録されています。
続いて法帖です。
法帖(ほうじょう)とは、模範となる優れた筆跡を鑑賞や学習のために複製して折本や帖に仕立てたものを言います。
(『簡明書道用語辞典』)
有名な淳化閣帖をはじめ、膨大な数の法帖が作られました。
現代に伝わる法帖の多くは、何度も翻刻されたため、肉筆と異なってしまっていますが、ここでしか見ることのできない優れた筆跡も存在します。
「大観帖(たいかんじょう)」は北宋の大観三年(1109)、徽宗(きそう)の命により『淳化閣帖』の種々の問題を是正する形で刻されました。
古来評価の高い「大観帖第六巻榷場残本(かくじょうざんぽん)」から「近得書帖」「昨書帖」「敬豫帖」「旦極寒帖」「虞休意帖」「建安霊柩帖」「追尋傷悼帖」「適太常帖」「司州帖」「郷里人帖」が選ばれています。
書いているときの息遣いが聞こえるような、生き生きとしたリズムが再現されています。
「快雪堂法書(かいせつどうほうしょ)」からは「快雪時晴帖」「晩復毒熱帖」「深以自慰帖」「官奴帖」「十月五日帖」「四月三日帖」「東比帖」「数都問帖」「羊参軍帖」「胡母帖」「諸従帖」「有理帖」が掲載されています。
「澄清堂帖(ちょうせいどうじょう)」は謎の法帖です。
誰が、いつ刻したのか解らないのですが、内容が優れていることは多くの人が認めています。
「紫藤花館本(しとうかかんぼん)」から「知世帖」「大都帖」「源日帖」「罔極帖」、「廉氏本(れんしぼん)」から「伏想清和帖」「月末帖」「安西帖」「冬中感懐帖」「想無悪帖」、「孫氏本(そんしぼん)」からは「足下散勢帖」「二謝在帖」「奉告帖」「豹奴帖」「増哀懐帖」を選びました。
法帖としてはほかに「餘清齋帖(よせいさいじょう)」から「思想帖」を、「真賞齋帖(しんしょうさいじょう)」から「袁生帖」が掲載されています。
王羲之の作品のほとんどは、家族や知人に送った手紙です。
一族の長として、家族の病に心をくだき、幼子の死をいたみ、友人との再会を夢み、旅に思いを馳せる手紙の数々。
それらを学ぶことにより、天才、王羲之の素顔を知り、理解をさらに深めることができるでしょう。
本書によって美しく、気品にあふれた書をご堪能ください。
筆路がわかる「骨書(ほねがき)」付き。
臨書のための丁寧な解説。
「シリーズ・書の古典」の最終配本二冊に関しては、こちらにも情報があります。
(掲載作品は当時から若干変更されています)
王羲之関連の本
蘭亭序二種(シリーズ・書の古典)(935円)
集王聖教序(シリーズ・書の古典)(1540円)
十七帖 三井本(シリーズ・書の古典)(1430円)
魏晋唐楷書小品(シリーズ・書の古典)(1650円)
蘭亭序拡大本・付十種(2860円)
拡大本 王羲之喪乱帖(2200円)
蘭亭序(大きな条幅手本)(1760円)
集王聖教序(大きな条幅手本)(1760円)
王羲之の手紙・十七帖を読む(1980円)