書譜(しょふ・687年)

 

「書譜」は、中国唐時代の人、孫過庭(そんかてい)が、自ら書いた書に関する論考を、草書で記したものです。

孫過庭については、生卒年も出身地も不明です。

わかっているのは役人としてはあまり出世しなかったこと、ほぼ7世紀後半の人であったことくらいです。

草書の名品「書譜」を書いたことによって、その名を不朽のものとしました。

 

「書譜」は宋代から有名で法帖にも刻され、清代には乾隆皇帝のコレクションに入り、現在は台北の故宮博物院に所蔵されています。

冒頭に「巻上」とあり、「巻下」がどこにも書かれていないので、別に「巻下」が存在するのではないかと考える人がいました。

しかし現在では、もとは二巻に分装されていたものが、後に一巻につなげられたとする説が優勢です。

 

また、肉筆本には欠落した部分があります。

「シリーズ・書の古典」の「書譜」では、この部分を刻本(「停雲館法帖」と「太清楼帖」)で補っています。

 

孫過庭 書譜

 

 

「書譜」の文章について

「書譜」には、王羲之を頂点とする名人たちの書の優劣論、手習いの心得、先だつ書論の論評、王羲之の書の意義、運筆と表現の関係、書の本質などが論じられています。

当時流行した四六駢儷体(しろくべんれいたい)で書かれており、対句などの技法が駆使されていて、難解です。

しかも草書なので読みにくいのですが、本質を突いた表現が各所に見られ、以後の書家たちに大きな影響を与えました。

現代に通じる優れた芸術論ということができます。

「シリーズ・書の古典」の「書譜」には、現代語訳がついているので、ぜひご一読ください。

 

「書譜」の書について

文章も優れていますが、なんといっても注目すべきなのはその「書」です。

王羲之の伝統を受け継ぎつつ、洗練された高度な技法によって書かれています。

一字ずつのバランスが抜群でありながら、全体を見ると軽妙なリズムにあふれ、強弱剛柔の変化を極めています。

また、草書の手本として考えると、王羲之十七帖をはじめとする古典の多くは拓本ですが、「書譜」は真蹟なので筆路がわかりやすいという利点もあります。

 

節筆(せっぴつ)

「書譜」を習うために知っておきたいことの一つに「節筆」があります。

 

赤丸で示した部分、ちょっと不自然ですね。

 

 

「書譜」は、まっすぐに書くために、ほぼ2.4cmの間隔で縦罫が山折りに折られています。

最初はこの縦罫と縦罫の間に収まるように書かれていますが、中盤以降、興に乗って折り目を超えて筆が走っています。

山の部分に筆があたって極端な太細の変化が生まれた部分が「節筆」なのです。

 

節筆

「シリーズ・書の古典」の「書譜」では、小さい三角形で「節筆」部分を示しました。

 

「節筆」の部分は、意識的に山折りの罫線に筆をぶつけ、まるで楽しんでいるかのように見えます。

「折り目に触発されながら、彼独特の技巧とし、一つの様式にまで押し上げ」たものだと、西川寧氏は評しました。

 

断筆(だんぴつ)

転折部分が切断されて不自然な形になったものを「断筆」と呼びます。

王羲之の「十七帖三井本」が有名ですが、「書譜」にも、かなりの文字に「断筆」が見られます。

断筆

「書」・「成」・「末」

断筆

「之」・「母」の断筆は、最後の画を書き終わってから補ったもののように見えます。

 

 

「書譜」の書を学ぶ

草書は現代の私たちにとって見慣れない書体ですから、はじめのうちは形が取りにくいものです。

天来書院からは「拡大本・孫過庭書譜」が発行されているので、まずこれを使って草書体を学んでいきましょう。

 

「書譜」の冒頭部分は謹厳に書かれていますが、次第に興に乗り、ダイナミックな表現へと変わります。

「拡大本・孫過庭書譜」には、シリーズ・書の古典「書譜」51ページ二行目から60ページ二行目までが採用されています。

書譜

拡大本は上の一行目「若思通」から始まります。

二行目、オレンジ色でマークした文字右横の点は「見せ消ち」と呼ばれ、間違って書いてしまった文字であることを示しています。

グリーンは前述した「節筆」です。

ブルーで示したのは「畳点(じょうてん)」で、「通会」を繰り返して読むという意味です。

 

今回は「拡大本・孫過庭書譜」から、紫色でマークした文字を学びます。

字形と同時に、「草書体」にも親しんでいきましょう。

なお、これから示すお手本に、赤い枠(概形)や、グリーンの線(補助線)がありますが、「拡大本・書譜」にはついていませんのでご了承ください。

 

若 

かなり縦長です。

グリーンの線から上が草冠(くさかんむり)です。

上部を広くゆったりととりましょう。

 

高さ、幅ともに小さい字で、概形は少し縦長です。

「田」が大きく書かれ、「心」は省略されて一本の横線になりました。

 

「思」より、かなり大きい字です。

最初の「マ」の点は省略され、次の縦画へ続きます。

シンニョウも省略されて、一本の曲線になりました。

 

やや横広の概形で、左右へ振る動きがダイナミックです。

それぞれの線の角度と長さ、ボリュームに注意して書きましょう。

旁の部分の草書体は、覚えるしかありません。

 

偏は上部に、旁は下部に書かれます。

最終画の中央部分は筆を開いて特に太く書きましょう。

 

画数の少ない字ですが、右の「通」とほぼ同じサイズ。

太い線でボリュームたっぷりに書かれています。

二画目から三画目へは一本の線になり、三画目と四画目も続けて書かれています。

このような簡略化が草書の特徴です。

 

「書」の草書体はとても単純な字形です。

くずし方云々ではなく、とにかく暗記するしかない草書の一つ。

よく使う字ですから、日常で使うと早く覚えます。

「少」よりさらに太く充実した線です。

 

偏と旁の距離を十分にとりましょう。

線は細く、縦方向にすっきりと伸びています。

 

概形はわずかに縦長です。

三画目は下の部分から始まってリズミカルに右上方へ向い、左下へ、四画目はほぼ真下に降りて小さく回転して上に跳ね、最後に右下へ向かいます。

華やかな字です。

 

青線で示した左右の縦線の角度と長さに注目しましょう。

下方へとすぼまっていく字形です。

 

尸の上部は簡略化され、一本の線になりました。

前行下の「老」に似て、外側に向かうリズムを持っています。

「仲尼」は孔子のこと。

 

二画目から最終画までつなげて書きます。

一画目と二画目の空間を大きくとりましょう。

 

 

以上でわかるように、「書譜」に書かれた文字はどれもバランスがとれた美しい形です。

でも、「書譜」の魅力はそれだけではありません。

 

孫過庭 書譜

文字の大小や線の強弱、リズムの変化に注目してください。

ゆったりとあるいは激しく、線の角度も自由自在で、まるで音楽を聞いているよう。

これこそが草書の醍醐味なのです。

 

「書譜」はかなり速いスピードで書かれたとされています。

草書体に慣れないうちは、速く書くと形が歪んでしまいがちなので、まずはゆっくり、正確に形を写すようにしましょう。

何回も練習して、しだいに臨書のスピードをあげ、原本のリズムを再現してみましょう。

そうして初めて「書譜」の魅力を理解することができるのだと思います。

 

最後に、臨書によって作品を作ってみましょう。

作品は、床の間やホールなどに掛けることも想定されるので、臨書であっても「文章」として成立することが好ましいとされています。

「シリーズ・書の古典」には巻末に「臨書作品制作のために=節臨に適した箇所」が紹介されています。

 

10字句の3つ目を書いてみましょう。

本文の14ページ4行目にあります。

 

 

釈文(漢文)と訓み下し文のほか、わかりにくい文字には「骨書(ほねがき)がついています。

でも、最初の字はわかりにくいですね。

 

 

巻末に「筆順」があります。

なんて親切なんでしょう(自画自賛)。

 

作品にするなら意味も知りたいですね。

 

 

選んだ字句が含まれるこの部分には、王羲之の書の素晴らしさが書かれています。

 

 

「ほっそりとした新月が天空のはてに出たようだ」。

美しい光景が目に見えるようです。

 

 

書譜の中には、作品にしたい名句がたくさん書かれています。

それについては、別の機会にご紹介したいと思います。

 

 

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『書譜』(シリーズ・書の古典) 2090円(本体1900円)

各ページに釈文・訓み下し文・骨書(筆路を示す) 巻末に解説・字形と筆順・現代語訳付き

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『拡大本・孫過庭書譜』 2200円(本体2000円)

各ページに釈文 巻末に解説・現代語訳・字形と筆順付き

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