中国山東省には、鄭道昭が文字を書いたと言われる4つの山があります。
天柱山、太基山、玲瓏山、そして雲峰山。
その中で、第一に挙げられるのはなんと言っても雲峰山です。
著名な「鄭羲下碑」「論経書詩」をはじめとして、あたかも回遊式庭園のように、鄭道昭が書いたとされる筆跡があちこちに配置されているのです。
山門や右闕、左闕、そして山頂には仙人たちの名前が刻まれた、神秘の山。
山全体が、まるで書のワンダーランドのように、書を愛する人を魅了するのです。
雲峰山については前に何回か書きましたが、どれも十分とはいえません。
今回は決定稿とすべく、全体を詳しく書いてみたいと思います。
拓本以外の写真は、2000年に撮影したものです。
上は、これからご紹介する刻石のマップです。
真上から見ています。
雲峰山が遠くに見えます。
麓には木々が生い茂っていますが、その上はゴツゴツした岩山です。
こういう山に仙人がいるのだと現地で聞き、びっくりしました。
日本人の感性と違いますね。
山の麓で迎えてくれるのは鄭道昭。
雲峰山の登り口にあるのが「鄭羲下碑」です。
「鄭羲下碑」は鄭道昭が書いた、父、鄭羲の顕彰碑です。
拓本のサイズは202×368cmで、この上に題額があります。
シリーズ・書の古典の「鄭羲下碑」から転載しました。
大きくうねった線で構成された雄大な文字です。
清末の金石学者である葉昌熾(しょうしょうし)は、楷書始まって以来の第一の傑作だ、とまで絶賛しました。
山道を登っていくと、大きなテーブル状の石があり、その盤上に刻されているのが「石匠于仙」と「石匠于仙人」。
鄭道昭が書いたものではないと考えられていますが、素朴な文字です。
登っていくとあらわれるのが、さらに巨大な「論経書詩」です。
かなり傾いています。
この地域は地震が多かったと言われるので、そのためかもしれません。
「論経書詩」の拓本です。
サイズは、315×331cm。
大きく空間を抱いた雄大な書。
スケールが半端ではありません。
さらに登っていくと、「詠飛仙室詩」「耿伏奴題字」「観海童詩」があります。
上は「観海童詩」。
ここまでは草が生い茂っていますが、その先は険しい岩山です!
マジ? 帰りたい。
登るっきゃありません。
(今は階段ができているかも)
雲峰山主峰の北西に突き出た西峰にあるのが「右闕題字」です。
さらに登っていくと「九仙題字」があります。
「この山上に、九人の仙人の名前がある」と書かれています。
10mほど登り、最初に出会う仙人は安期子です。
龍に乗り、蓬莱の山に栖んでいます。
「安期子題字」の下に刻されているのは、「王子晋題字」。
鳳凰に乗り、太室山に栖む仙人です。
さらに、赤松子題字、浮丘子題字、羨門子題字があります。
このときに見ることができたのは合計5名の仙人の名前でした。
その後、確か10年ほど前に、残りの4名の仙人の名前が刻された石が発見されましたね。
いよいよ雲峰山の山頂まで登ります。
山頂からの風景。
外界ははるか下方に広がっています。
涼しい風といっしょに、龍に乗り、あるいは鳳凰に乗って、自由に遊ぶ仙人たちの幻があらわれました。
(苦労して登ってよかった)
頂上南側に立つのが「雲峰之山題字」。
かなり摩滅しています。
頂上から往路を下り、南に迂回すると、東峰との切通に出ます。
はるか絶景を見下ろす盤状の岩に刻されているのが「当門石坐題字」。
「鄭公の門に当りて石坐する所なり」。
「石坐」は座禅のこと。
鄭道昭はここに座り、瞑想したんですね。
(高所恐怖症の私には絶対ムリですが)
この刻石、実は私が行ったときには周りに柵ができていました。
坂田玄翔先生のご著書「秘境 山東の摩崖(雄山閣出版刊)」から、写真を引用させていただきました。
帰り道には
山門題字
左闕題字
その他、鄭道昭の息子である鄭述祖の「登雲峰山記」や後人が書いた書があります。
今は新型コロナウィルスのために無理ですが、自由に旅ができるようになったら、ぜひおでかけください。
ただし、知識のある方に案内してもらわないと、遭難します。
SHOP
鄭羲下碑(シリーズ・書の古典) 2090円
論経書詩(テキストシリーズ) 1320円
鄭道昭題字小品(テキストシリーズ)