2021年1月23日から2月28日まで、台湾の嘉義市立美術館で「天鶴天来翠嘉邦―台日書法連合展」が開催されています。

1月20日にその概要を書きましたが、今回は、比田井天来と台湾との交流、そしてその後の台湾の書道について、もう少し詳しく書いてみたいと思います。

また、展覧会場のスナップもご紹介します。

 

比田井天来は大正2年の出雲を皮切りに、生涯にわたって全国を遊歴しました。

書の古典の啓蒙と同時に、書道研究機関である「書学院」建設のために作品を書いて頒布することが目的でした。

台湾は、確実な情報によると、1926年と1935年の二回訪れています。

1919年の雑誌記事に台湾へ行くという予告はあるのですが、実際に行ったかどうか確認できていません。

 

では、台湾で、天来はどんな活動をしたのでしょうか。

 

1926年3月11日、天来が故郷の親戚に宛てた書簡には、

「台湾は実に好い所です」から始まり、台北、台中、台南、高雄、屏東に一遊したこと、阿里山に一泊したこと、21日に台湾を発ち、4月始めには帰京することが書かれています。

 

上の写真は1935年に台湾を訪れたときのもので、北投公園(現在は「台北温泉博物館」)での一コマです。(書き込みは妻、小琴)

この旅では天来に揮毫の依頼が殺到し、離島前夜は一睡もしないで作品を書いたという記録があります。

 

上は台湾日日新報の記事で、左が1926年1月26日、右は1935年2月11日です。

いずれも単純なニュースではなく、天来が書道研究所「書学院」を建設するための資金を集めるための旅であることや、協力者の名前などが紹介された丁寧な記事です。

台湾日日新報はこのほかに、1926年は3回、1935年は12回、天来の動向を報じています。

 

1935年の旅で天来とともに島内を旅し、天来から親しく指導を受けたのが陳丁奇先生でした。

ときに天来は64歳、陳先生は25歳です。(数え歳)

そしてこれ以降、陳先生は天来を深く尊敬し、後に比田井天来の「天」と田代秋鶴の「鶴」をとって「天鶴」と号されたのです。

 

上の写真、左が陳丁奇先生、右は比田井天来です。

 

天来の残した足跡はその後どうなったのでしょう。

 

1963年、著名な詩人・書画家であった張李徳和が、嘉義に玄風館という学芸サロンを創立し、玄風書道会を創設します。

このとき招請されたのは陳丁奇先生で、1965年からは運営を委託されました。

 

上の玄風書道会看板は陳丁奇先生ご揮毫のもので、展覧会に出品されています。

 

また、1984年には、陳先生ご門下の李郁周先生によって台湾甲子書会が創設されました。

李郁周先生は青年期に、雄山閣発行の『天来習作帖』と、川谷尚亭著『書道史大観』で勉強されたとうかがいました。

 

比田井天来、川谷尚亭、田代秋鶴など、戦前の美しい日本の書の伝統が、今も台湾に息づいていることを知り、感無量です。

 

 

陳丁奇先生の生誕110年を記念して企画されたのが「天鶴天来翠嘉邦ー台日書法連合展覧」です。

「天鶴・天来・翠邦」というタイトルからもわかるように、台湾からは玄風書道会と台湾甲子書会、日本からは書宗院(桑原翠邦先生創設)が参加しています。

展覧会の実行責任者は李郁周先生、準備にあたったのは甲子書会の先生方です。

日本では、書宗院理事長、高橋蒼石先生が中心となって作品が集められました。

 

上の写真は李郁周先生(展覧会場にて)です。

美しい執筆ですね。

 

展覧会は、4つの部門にわかれています。

 

1.宗師化境

台湾と日本の書道の先達の張李德和、陳丁奇、比田井天来、比田井南谷、比田井小琴、田代秋鶴、川谷尚亭、桑原翠邦、楊守敬、日下部鳴鶴、 貫名菘翁、巖谷一六、中林梧竹、近藤雪竹、丹羽海鶴、渡邊沙鷗、上田桑鳩、手島右卿、石田栖湖など諸先生の軸裝作品が中心に展示されています。

このコーナーは陳丁奇先生。

その中から一つご紹介したいと思います。

 筆硯相依り静裡に参じ、簡石を観摩するも未だ深くは諳んぜず。

 世情は久遠にして賓客無く、古典誰に従いて指南を得ん。

最後の部分は、もしかしたら天来や川谷尚亭、田代秋鶴を思い出して書かれたのかもしれません。

 

ちなみに落款は、「愁。陳丁奇、茅を以て書を草す。」

茅(かや)の筆で書いたというと、比田井小琴が晩年に筆草を使ったことを連想します。

そういえば、小琴の師、阪正臣の号は「茅田」でした。

 

陳先生の九成宮醴泉銘の臨書です。

 

続いて日本の書家。

天来・小琴・南谷はこちらでご紹介していますので省略。

上の写真は右から貫名菘翁、巖谷一六、中林梧竹、近藤雪竹、丹羽海鶴、渡辺沙鴎。

 

折帖は右二点が川谷尚亭、左端は天来です。

 

2.羅山風華

嘉義は昔、「諸羅山」と呼ばれていました。

1940年代の台湾と日本の詩人による嘉義地区を詠んだ詩がテーマです。

台湾と日本の作家の作品です。

李郁周先生と高橋蒼石先生の作品はこちら

 

見ごたえのある作品が並んでいますね。

 

3.振葉尋根

書を学ぶときに一番大切なのは臨書。

書の根源をたずねる作品群です。

 

上は台湾の方々の作品が展示されたコーナーです。

 

4.鉄筆増輝

比田井天来と川谷尚亭の自用印譜(軸)をはじめ、篆刻作品が展示されています。

 

展示されている作品は、「宗師化境」は台湾から12点、日本から30点。

そして、現代作家の作品は台湾から66点、日本から65点が出品されました。

 

書宗院では、先生の手本によらず、古典を直接学んでいます。

また、今回参加された台湾の方々も、同じ方法で学んでいるとうかがいました。

天来の主張が今も息づいており、この度の展覧会になったことを考えると、感慨に耐えません。

 

最後に、この展覧会の発端となった写真をご紹介します。

2019年7月22日、来日された甲子書会の葉碧苓先生(左下)、關口皓方さん(右上)、書宗院理事長の高橋蒼石先生(後列中央)、天来書院現社長の長瀬拓磨(後列左)、私です。

実は關口皓方さんは、もっと前からフェイスブックで台湾の方々とお友達になり、台湾へ行って交流を深めていた、いわば立役者!

そしてこの日、「天鶴天来翠嘉邦―台日書法連合展」の実現に向けて、第一歩が踏み出されたのでした。

 

葉碧苓先生と、すっかり仲良しになりました。

 

新聞記事や陳丁奇先生の写真は李郁周先生、展覧会場の写真は邱尉庭さんがご提供くださいました。

心から御礼申し上げます。

書道