2月13日まで、思文閣銀座で森田子龍展が開催されています。
「書は命の躍動であり生き方のかたちである」と述べた森田子龍先生は、禅に傾注しながら、独自の深い境地を求めました。
また、先生の業績として、1951年から1981年の301号まで刊行された『墨美』を忘れることはできません。
フランツ・クラインを始めとする抽象表現主義の作品を掲載し、最先端の書の理論、さらに知られざる古典名品を紹介するなど、他の書道雑誌とは一線を画するものでした。
日本ばかりでなく欧米でも高い評価を得、書への注目を集めたのです。
比田井南谷の話の中には、時々森田先生が登場しました。
森田先生の書や思想についてでしたが、この二人は激論を交わしているに違いない! と感じたことを思い出します。
会場は地下一階。
正面に展示されたメイン作品は「寒山」(1969年)です。
黒のケント紙にアルミの粉を膠で溶いたもので書き、その上に漆をかけて仕上げてあります。
ダイナミックな筆の動きが紙面に定着し、幾筋もの金色の線となって輝いています。
左の壁面には「脱」(1963年)が展示されています。
「還」 1962年。
字義は「始原に戻る」。
「始原」とは、人間の五感を超えた状態である「無」を意味するのだそうです。
さて、今回は思わぬ出来事がありました。
今まで見たかった作品に出会ったのです。
「静思微見」 1941年の作品です。
繊細に書かれた四つの文字。
これを受けて書かれた、毅然とした落款の文字。
そして、勢いはここで止まらず、左に点が三つ打たれているのです。
当時はこれが書であるかどうか、大きな議論が沸き起こったと言います。
私が雄山閣に入社して最初に担当した『現代書(全3巻)』という本に、「現代書の歴史」というタイトルで、宇野雪村先生と比田井南谷の対談が載っています。
そこで宇野雪村先生が、森田子龍先生が発行した『書の美』に触れた後、こうおっしゃっています。
そのころに、森田君が「いったい文字を書かなければ書じゃないのか」というような問題提起をした。これは「誤字であったら書とは言えないのか」ということなんですよ。その時の彼の言葉を覚えているんだけれども、字を書いて、どうも不満で、もう一つ何か点を打たなきゃどうにもならないということで点を打ったと。そうしたら誤字になってしまう。しかし自分では、造形的な表現は満足した。それはいったい書であるのか、書でないのかというような問題でしたね。
「書とは何か?」
「現代に生きる我々書人がするべきことは何か?」
そういった問題が真剣に話し合われた時代でした。
思文閣の森田子龍展には、もう一つ、珍しい作品が展示されています。
書かれているのは宮沢賢治「春と修羅 第二集」の中の「未来圏からの影」で、1949年の作品です。
同じく上田桑鳩門の森田安次の「風の又三郎」も同じ年のもので、こちらは毎日書道展の特選になりました。
詩文書の世界に新しい展開が始まった年だったと言えるかもしれません。
ほかにも、「蒼」や、古墨で書かれた「懶」、「妙」「雪月花」などが展示されています。
森田子龍先生の展覧会が東京で開催されるのは珍しいと思います。
ぜひおでかけください。