十七帖 三井本

 

書聖、王羲之の手紙を集めた「十七帖(じゅうしちじょう)」は、草書の基本的なお手本として知られています。

 

唐太宗は王羲之を熱愛し、羲之の手紙を収集しました。

その数はなんと三千通と言われています。

そしてこれらを分類整理し、何巻かの巻物にしました。

十七帖はその一つで、王羲之の手紙29種がおさめられています。

 

太宗は十七帖の複製を作らせて、弘文館(図書館兼学校。貴族及び高官の子弟に教授した)の学生の手本としました。

複製は人気を博し、これをもとにしてさらに多くの複製が作られ、現代に伝えられました。

 

 

十七帖はお手本として作られたので、肉筆から若干の改編が行われているようです。

十七帖

省別帖(せいべつじょう)は遠宦帖(えんかんじょう)とも呼ばれ、刻本(右)だけでなく、摸本(双鉤塡墨本・左)も知られています。

 (双鉤塡墨本は小社刊テキストシリーズ「王羲之尺牘2」所収。)

左の摸本と比較してみると、右の十七帖は大きめの文字もあり、筆路が鮮明です。

さらに、曲がった行がまっすぐになった部分もあります。

草書の手本として、習いやすいように配慮された結果だと思われます。

 

 

さて、現在知られている十七帖はすべて後世の複製ですが、それらの中で、特に有名なものが「上野本(うえのぼん)」と「三井本(みついぼん)」です。

 

十七帖三井本,上野本

左の「上野本」は、現在、京都国立博物館に所蔵されています。

自然で穏やかな筆運びです。

それに対して、三井聴氷閣(みついていひょうかく)旧蔵の「三井本」(右)は、筆路が明快で生き生きとしています。

 

「三井本」は評判の高いものですが、不自然な部分があることが、度々指摘されてきました。

 

十七帖

転折部分が切断され、不自然な形になっているのです。

これは「断筆(だんぴつ)」と呼ばれています。

 

「断筆」は、実は王羲之の墨本にも見られます。

 

断筆

十七帖三井本ほどはっきりしていませんが、筆を改めていることがわかります。

 

断筆

孫過庭「書譜」には、もっとはっきりと「断筆」を見ることができます。

 

 

とはいえ、三井本の「断筆」はあまりにも多くの部分にあらわれていて、不自然に見えるかもしれません。

比田井天来は次のように考えました。

 

草書の運筆は、往々柔弱に失し易きを以て、断筆の例により、故(ことさら)に寛和の筆を矯(た)めて剛健ならしめ、初学者をして向うところを誤らざらしめんがために、特に意を用いたるものにはあらざるか。(「十七帖解題」『学書筌蹄』)

 

初心者が草書を書く時、流れるように連続させようとして弱くなりがちなので、筆を切り返す部分を強調することによって、草書には剛健さも必要なことを理解させようとしたのではないか。

 

なるほどと納得できます。

臨書するときは、断筆をその通りに書く必要はありませんが、転折の筆の返しをしっかり意識して書くようにしましょう。

 

 

さて、「十七帖」におさめられているのは、家族や知人に宛てた手紙です。

どのような内容の手紙なのでしょう。

 

十七帖,胡桃帖

27番目の「胡桃帖(ことうじょう)」は、胡桃(くるみ)の栽培に関する手紙です。

 

あなたからのお便りに、この果実はよいから種子(たね)を送ってあげましょう。

栽培してみなさいとありました。

以前そちらの胡桃(ことう)を種(う)えてみましたところ、すべて発芽しました。

私は果樹を栽培するのが好きなのです。

今は田舎におりましてこのことだけを仕事にしています。

だから遠方にまで求めるのです。

あなたがこの種子をお送りくださるのは大変ありがたいことです。

 (「王羲之の手紙ー十七帖を読む」〈尾崎學著・天来書院刊行〉から引用)

 

王羲之は「書聖」と呼ばれ、常人とは異なった特別な人といったイメージがあります。

しかし、この手紙からは、私たちと同じように果樹の栽培を楽しむ、穏やかな人となりがうかがえます。

ほかにも、親戚や知人の消息を尋ねるもの、隠遁生活に憧れる手紙、観光を希望する手紙などがあります。

「十七帖」は名筆であると同時に、王羲之の日常を知ることができる貴重な資料でもあるのです。

 

それでは、「胡桃帖」の書を見ていきましょう。

胡桃帖

草書ですが、ほとんどが単体で、二文字つながっているのは五箇所のみです(文字の切れ目を緑の罫線で表示)。

 

やや縦長の字、かなり縦長の字、やや横長の字、かなり横長の字、正方形の字などが自在に配置され、躍動感を生んでいます。

書き出しの「足下」はとても小さく、同じ行の七字目「果」は、「足」の三倍の高さがあります。

半紙に臨書する場合、一律に同じ大きさに書きがちですが、文字の大小や、多彩な字形が織りなすリズムも再現したいものです。

 

続いて、いくつかの字をとりあげましょう。

胡桃帖

 

「胡桃帖」の中で、形が特に整った美しい字を九つ選んでみました。

 

胡桃帖,十七帖

當(当)

上部がゆったりと大きく書かれています。

下部はかなり右へ寄せましょう(重畳法)。

 

禾偏(のぎへん)の上部は大きく伸びやかです。

縦画は左上から右下に向かっています。

 

横に広い字形です。

左右の中心がどこにあるかを意識しつつ、線が交差する位置にも注意しましょう。

 

胡桃帖,十七帖

極めて縦長の字。

ほぼすべて直線で構成された、シンプルで簡素な形です。

 

「吾」ほどではありませんが、かなり縦長です。

竹冠が終わって「馬」に入る箇所は、真ん中より下。

 

口偏は緑の線より下に出ないように、旁の隹は上部を大きく作っています。

 

胡桃帖,十七帖

草書は曲線によって構成されているという先入観がありますが、王羲之の草書は直線を巧妙に多用しています。

最後の三字は、直線、あるいは直線を組み合わせた曲線を多く持っています。

 

最初の筆の返し(緑◯)は、上下中央よりわずかに下に位置します。

線の角度や長さの絶妙なバランスが、シンプルな字形に強さを与えています。

 

偏の上部を大きくとり、右上のスペースを空けています。

穏やかな字形に見えますが、実は厳しい造形意識に裏付けられています。

惰性的に書くと、このような角度を正確に捉えることはできません。

 

各々の線の長さ、角度のバランスをそのとおりに再現してみましょう。

書聖、王羲之の造形の秘訣を理解することは、実際に作品を書くときに大きな力となるでしょう。

 

 

文字を書く場合、誰でも陥りやすい傾向があります。

たとえば、右上から左下に向う線は書きやすく、左上から右下に向う線は書きにくいもの。

したがって、縦線は左下方に流れやすく、字の右下が弱くなりがちです。

古碑帖の正確な見方「第七回下・草書の名品  書譜を習う」

 

書の古典名品を精密に臨書すると、こういった惰性的な動きが矯正され、強く美しい字形を体験することができます。

その最たるものが王羲之の書だと私は感じています。

 

臨書とは、自分を変えていくものだということを私に実感させてくれたのが、王羲之だったのです。

 

 

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