2016年6月11日に開催されたトークイベントをYouTubeにアップしました。DVDも発売中。
加島美術で開催中の比田井南谷展初日に行われたトークイベント「書をひらく−書は絵画である−」は、現代美術の視点から、南谷を初めとする現代書を論じたユニークな内容でした。
超多忙の中ご出演くださった秋元雄史先生(東京芸術大学美術館館長&教授・金沢21世紀美術館館長)は「書道は門外漢」と謙遜しながら、現代芸術の広い視野にたち、鋭く示唆に富んだ発言を次々にご披露くださいました。最初は、スライドを使って比田井南谷の紹介です。
これは本邦初公開かもしれません。天来と小琴、7人の子どもたちが全員入っています。左端が南谷、三人おいて若くして他界した長男、比田井厚、前列三人は左から徹(四男)洵(三男)慈子(三女)。後列ほぼ中央がゆり子(長女)、その右が千鶴子(次女)。
若いころの南谷の臨書、木簡です。
有名な「心線作品第一・電のヴァリエーション」(千葉市美術館蔵)。敗戦の年に書かれました。ジャクソン・ポロックと同時期か少し早い時期で、西欧絵画からの影響はありません。純粋に「書」の土俵から生まれた新しい表現です。
南谷の作品に対して「これは書であるか、ないか」という議論が沸騰しました。ある評論家が「書と抽象絵画との違いは用材の相違以外に考えられない」と言い、南谷はそれに対して「書の芸術的本質は鍛錬された線による表現にあり、用材は単なる媒体に過ぎない」と反論しました。そしてそれを実証するため、いろいろな用材を使って作品を書いたのです。上はキャンバスに油絵の具を使った作品。同じく千葉市美術館蔵。
これはボードに黒い油絵の具を塗り、ゴムタイヤの切れ端でひっかいた作品。ほかにも拓本に書いたりいろんな実験をしています。そして、単身アメリカへ。ニューヨーク・タイムズに大きな記事が出たり、注目を集めました。
これはニューヨーク近代美術館(MoMA)が買い上げた作品。ほかにも著名美術館やコレクターが買い上げました。詳細はこちら。
そして、南谷の作品の作りかたについて。興のおもむくままに一気に書いたと思われがちですが、実は綿密に構築されているのです。
これ全体でB5サイズ。こんなふうに浮かんだイメージを何百枚も書いていきます。最初は鉛筆。
続いて筆で書きます。これも数百枚書き、もう少し大きな用紙にうつり、頭の中で煮詰めていって、最後は2枚、または3枚書くのです。そんな書きかたって、書道では珍しいかもしれませんね。
南谷の特徴は、上のような立体的な線ですね。二種類の古墨をすり混ぜるんです。古墨ならなんでもいいわけではなく、組み合わせはオンリーワン。とても大きな墨でしたが、南谷が使ったので、今はほんの小さいかけらしか残っていません。この動画の最後で、高橋蒼石先生が実際に作っています。参加者はみんな食い入るように見ていました。
秋元先生のお話で印象的だったこと
(私)書は3500年の歴史を背負って作品を書きます。これは芸術の分野で特別ではありませんか?
(秋元先生)特別ではありません。もちろんすべてではありませんが、欧米の超一流の芸術家も、美術史の中に自分を位置づけています。
(私)南谷は、日本の書壇から「これを書だと言われては迷惑だ」というふうに言われましたが、アメリカへ行ってからは、新聞や雑誌で取り上げられたり著名コレクターが作品を買ったり、注目され認められたように見えます。これはどういうことでしょう。
(秋元先生)人類は戦争を二度体験しています。人間性を根本から否定するような戦争体験は、国や人種を超えて、精神的な状況を変えました。それを鮮明に意識したのがアンフォルメルの芸術家であり、南谷だった。どちらが真似をしたという問題ではありません。また、日本の書を西欧に紹介する場合、エキゾティックで異質であることを売り物にする場合が多いけれど、南谷はそうではない。西欧のアーティストは、自分たちと同じ表現者として南谷を迎え入れたのだと思います。そういえば、南谷と同じ時代の篠田桃紅さんは日本的なイメージが強いけれど、南谷にはありませんね。
ほかにも興味深いお話が満載です。ぜひご覧ください。
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なお、6月29日夕方から7月2日までは、南谷展の会場、加島美術で買うこともできます。