なにしろ、東京都札幌の温度差は10度! どうしたらよいかわからないので、薄手のダウンのコートをバッグに詰め込みました。とにかく紅葉がきれいです。これは大通り公園。
山田太虚先生の傘寿書展の記念講演です。ライフワークとおっしゃる長恨歌や美しい淡墨作品、臨書作品などなど。私は、長恨歌はもちろんですが、半切1/4サイズの縦長の小品がとてもいいと思いました。
講演は、北海道の書道の黎明期。比田井天来を中心にお話しました。大正8年、天来は、誰もが古典名品に親しむことができるように、「書学院建設の辞」を書きました。犬養毅や松方正義、嘉納治五郎などが推薦しています。これが書かれたのが、なんと北海道だったのです。旅に随行した比田井雄太郎(後の田中鹿川)さんの手記によると
各地財界の景気高騰にともない、東京では日当一円位のところ、この地では漁業期に入り、日当五円位していたから、「書道館建設の辞」が発表されると、揮 毫の依頼が殺到した。小樽、札幌、旭川、岩見沢、夕張、室蘭、苫小牧、帯広、釧路、根室、網走、美幌、留萌、函館などを随行して遊歴し、12月1日に弘前 に着き、大雪の寒さを味わって、中旬に鎌倉に帰った。
この大正8年の作品が、札幌の北海道神宮や小樽の旧青山別邸、函館の高野寺など、北海道のあちこちに残っています。そして圧巻は登別温泉の「滝本・栗林二翁頌徳碑」と「功労碑」。前者は碑陽は遠山満、碑陰が天来で、書いたのは昭和13年7月。この年の2月に帝大病院に入院して癌の手術を受け4月末退院、8月末再入院、翌年1月4日には他界します。そんな時期であるにもかかわらず、270字という長文を、自ら考案した書体である木簡隷で書ききっている精神力はすごいと思います。
みずみずしいですね。
これは翌日です。札幌のテレビ塔と紅葉。オレンジがかった朱色の美しいこと。
見上げるとまばゆいばかり。自然の色合いって心がなごみます。
円山公園にもいきました。札幌の紅葉は、これからが本当の見頃です。