それは拓本展から始まった

2018年7月24日

比田井南谷の作品がニューヨーク近代美術館MoMAに所蔵されている! 話には聞いていましたが、ほんとかな? という半信半疑の時期がずーっと続いていました。南谷のホームページをつくるにあたり、いろいろ調べてみたら、ほんとだった♡

ま。家族なんてそんなもんですよね(ほんとか?)

で、今回、ムー教授がさらに調べてくれて、MoMAやMoMAの初代館長、アルフレッド・バー・ジュニア、ロックフェラー夫人など、著名コレクターが作品を買い上げるまでのいきさつがわかってきました。南谷レポートVol.15 南谷アメリカへ行く(2)

なんと、アメリカのアーティストが最初に魅了され、欲しがったのは、南谷の作品ではなく、拓本だったのです! その後、南谷の作品が注目されていくんですね。

そして、南谷の拠点は日本へ移り、出版に夢中になって作品は減ってしまいますが、そのうちに、日本の近代美術館にも売れるようになりました。

そのきっかけは?

なんと、拓本なのですよ。

 

1977年、南谷のもとへ、アーティスト斎藤義重氏と、日本で最初の現代美術画廊である「東京画廊」の創始者、山本孝氏が訪れました。中国の書の拓本展を開きたいので、借用したいというものでした。そして実現したのが「磨崖碑拓本展」です。

 

これ、当時の案内状。そっけないですが、今も東京画廊は同じスタイルです。

当時の画廊主、山本孝さんは、現代美術と並んで、東洋の伝統的な美術(まだあまり注目されていないもの)も紹介したいと考えていました。

 

杉浦康平さんがデザインした展覧会図録の表紙とトビラです。表紙は「匡喆刻経頌」の碑文、トビラは題額「石頌」の「頌」字(全部彫ってないし)です。なんと斬新な!

本文のレイアウトも、石鼓文の二字を超拡大して広げると開通褒斜道刻石だったり、泰山金剛経の一字を拡大したり、鄭道昭の題字や墓誌の蓋を使ったり。

文章は宮川虎雄さんで、これもすごいインパクト。

 

オープニングパーティーです。右から杉浦康平さん、シャールシュミット・リヒターさん、東京画廊のスタッフさん、画廊創始者の山本孝さん。右のバックに匡喆刻経頌が貼ってありますね。

 

斎藤義重さん(右手前)は、「戦後以降の現代美術を代表する作品の数々を残し、「もの派」の作家らに大きな影響を与えた[3]。」とWikipediaにあります。漢字の構築性を高く評価していらっしゃいました。芸術新潮に、斎藤義重・比田井南谷の対談が載りました。

 

左の宇野雪村先生は、拓本や法帖のすばらしいコレクションをお持ちで、南谷の大親友でした。上は石鼓文を並べた展示。真ん中にいらっしゃるのは

 

これならわかりますね。「文雅堂」の江田勇二さん。拓本をたくさんわけていただきました。バックは匡喆刻経頌の剪装本をはがして壁に貼った(汗)。

 

好太王碑の整本です。長すぎるのでこんな展示になりました。(それほど観客が多くなかったし)

右は泰山金剛経の一字ずつの拓本を張り詰めたもの。

 

広武将軍碑、沈府君神道闕、徂徠山の文殊般若経。しぶいね。

 

鄭道昭の題字は、こんなふうに展示されました。東京画廊のセンスはなかなかですね。椅子が邪魔って? さりげなくていいと思うな。

 

ムー教授と私めでございます。結婚したのはこの翌年。私の服装、なんだかライフ誌のファッション(ゼブラじゃないけど)に似てる。(レポートをご覧ください)

 

「磨崖碑」(自然の岸壁や巨石を利用して作った碑)が、日本の書壇で最初に注目されたのは、「書品」の鄭道昭特集だったと思います。そして、その最初の展覧会はサンフランシスコのデヴィッド・コール・ギャラリー、日本ではこの「磨崖碑拓本展」だったと言えるのではないでしょうか。現代美術の画廊主催というのがおもしろいと思います。

ちなみに、書道の中で、私が最初に興味を持ったのは拓本でした。生々しい肉筆よりも、刻され、風雨にさらされ、拓されたものが、とても美しく感じられたのです。

邪道かしら・・・?

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書道