臨書の意味と方法

2018年9月4日

臨書とは何か

 

一般に考えられている書の学び方は、「先生が書いたお手本を習う(まねをする)」ことでしょう。一生懸命習えば、先生と同じくらい上手な字が書けるようになります。

書の本質は違うと考える人がいました。今から100年ほど前のことです。

明治維新から50年。すべてが西欧化していく中、東洋文化の意味を問い、さらに深めようとする人々がいました。日本独自の絵画、建築、詩歌、音楽。伝統文化を愛し、その独自性の中で、新たな展開を模索していました。

比田井天来が愛してやまなかったのは「書」です。芸術文化の中で、書こそが東洋文化の中心をなしていると考えたのです。

「書は東洋独自の芸術である」と天来は主張しました。しかし、書壇ではさまざまの流派が勢力争いに明け暮れて、書の本質が忘れられています。そんな情けない状況を打破し、書に本当の価値を蘇らせなくてはならない。そう天来は考えました。

本当に価値ある書とは何か。それは「書の古典」です。先生の手本を学ぶことを、天来は厳しく否定しました。

 

歴史の中で、おびただしい数の書が書かれてきました。その中に、長い年月を超えて今に伝えられる名品があります。書体や書風が異なった多彩な作品の数々。それらを直接学ぶのが「臨書」です。

書道史の中で、最も有名な臨書をご紹介しましょう。

 

楽毅論

左・光明皇后臨 王羲之書楽毅論  右・王羲之書楽毅論(餘清齋帖本)

 

右は「書聖」と呼ばれる王羲之が書いた「楽毅論」。この肉筆は失われましたが、いろいろな拓本の形で伝わっています。これ(厳密にこの拓本だったかどうかはわかりませんが)を、日本の光明皇后が臨書したものが左です。

静かで穏やかな王羲之の書に対して、光明皇后の臨書の、なんと奔放で力強いこと! 原本の趣と光明皇后の個性が一体になり、新しい表現が生まれています。これこそ、臨書の真髄というものです! 

 

臨書の方法

 

一口に臨書と言っても、その態度にはいろいろあります。一つの古典を何年もかけて深く学ぶ方法、数種類の古典を徹底的に学んで自己の書を確立する方法、名品と言われるものはすべてを何度も臨書して自己の書を高めていく方法、などです。

天来は、まず、古典名品の主だったものをすべて学べと説きました。以下の文章の「 」内は、比田井天来著 比田井南谷編集・校訂『書の伝統と創造』(雄山閣出版)からの引用です。

 

臨書第一期 絶対的手本本位の時代

 

「書の規範となるものは、中国では唐以前、日本では三筆以前のものがいちばんよろしい。三筆というのは嵯峨天皇弘法大師橘逸勢の書をいう。楷書では唐の四大家といわれる虞世南欧陽詢褚遂良顔真卿などを範とすべく、行書では、晋の王羲之の『蘭亭序』、同じく王羲之の『集字聖教序』など、草書では唐の孫過庭の『書譜』などもよいが、なるべくは王羲之の『十七帖』などをもって手本とすべきである。」

 

その学び方は、まず、見開き程度の文字を何度も臨書して結体や筆使いを理解し、そのあと全臨して、その手本は卒業。こうして、基本的な古典すべてを大急ぎで学びます。

この時期で大切なことは、一点一画ゆるがせにしないように、自己を捨てていねいに臨書すること。天来はこれを「臨書第一期・絶対的手本本位の時代」と呼びましたが、ここできちんと学べば、最初に嫌いだったものも、実は優れていることがわかるようになります。

大家の書にはかならず共通する一定の法則があること、巧みな書には俗になる傾向があり、拙いように見える書にも妙所があることがわかるようになるのです。

 

臨書第二期 自己本位の時代

 

第二期は「自己本位時代」、個性発揮の萌芽期です。第一期で手に入れた用筆法を自分の主義として、「王羲之でも王献之でもことごとく自己の主義に合せしむるつもりで臨書するのである。」

ただ、一年ほど続けてみて、古典が自分の定めた用筆法にあわなかったら、それは自分の用筆法に無理があるということなので、第一期へ後戻りして、虚心の境地になり、自己を捨てて熱心に研究します。そして得ることがあれば、再び第二期へすすみます。

 

臨書第三期 手本と自己との融和時代

 

第三期は「手本と自己との融和時代」です。

第一期のように手本本位でもなく、第二期の自己本位でもありません。自分と手本とが知らず知らずとけあって、筆意に自然味が加わって無理がなくなり、自運書を見るようになります。

そのうちに、学んだ各々の古典の中から、甲から一部、乙から一部というように自分の好む部分が作品にあらわれ、複雑な要素が自然に一致して、今の人の作品はもとより、古典にも似たもののない書ができあがれば、それがその人独自の書になるのです。

そして第三期には、一生涯卒業ということはなく、暇さえあれば臨書は継続しなくてはなりません。

 

臨書の意義

 

「臨書」は手本をまねて書くことです。「模倣」は「創造」と逆のものだと思われがちです。ここでいう「模倣」は、自分で創り出すのではなく、他人のものを借用するというイメージ。自分の世界はそのまま保って、他人の作った都合の良い部分だけを拝借するといったイメージです。

 

天来の言う「臨書」は違います。古典を臨書するときに要求されるのは、まず自分を捨てること。自分の好みとは逆の古典を選び、臨書しなくてはなりませんから、当然苦痛が伴います。しかし、それに負けずに臨書を続ければ、手本の魅力がわかってきます。それまで知らなかった未知の世界がひとつ拓けるのです。

 

さらに、次の古典に移りますが、一旦手に入れた技法を壊して自分を無にし、新しい挑戦をしなくてはなりません。これを繰り返し、名品のすべてを学んで初めて、独自の作品を書くことができるのです。

 

天来の最初の弟子、上田桑鳩は、天来から受けた教育について次のように述べています。

私には習うべき手本を申渡されただけで、先生は書いてもせられず、一週間の間に、この要領を摑んでしまえと命ぜられるだけである。もし一週間目に清書を持って行かないと矢の催促である。先生の邸内に住んでいたから、毎日の催促は恐ろしかった。それでやっと持って行くと、ぱらぱらとめくって見て、これはいかぬ。もう一週間。といわれるだけで、どこが悪いのか一切いって下さらない。また一週間一生懸命に習って持って行くと、見るか見ないで、これでよし。次は何の碑だと課題が出る。これを前の碑帖とは全く反対の傾向のものなのだから、少しく手に入ったと思う手法は、全く捨てて新しい手法を探究しなければならないのである。それだから、前に得た手法は今度は邪魔にこそなれ、全く用をなさない。これをがむしゃらに続ける苦しさといったら、筆舌を絶するものがあった。

上田桑鳩・不教の教えから抜粋)

 

「臨書」とは、未知なる世界の体験であり、未知なるものとの対決です。手本の型に習熟するのではなく、自分が培ってきた価値観を壊し、新たな世界を拓く行為なのです。

 

「自己流の字ばかり書いて個性に安んじていたら、すぐに習気が出て死物になる。ゆえに碑板・法帖そのほかあらゆる方面から古名流の性情をやとい来たって、わが固有の性を一時破壊しなくてはならぬ。これを破りこれを破り、さらにこれを破ってまったく破るべきものなきにいたれば、いままで自己の個性と見ていたものは、憐れむべき六尺の腐肉に食い込んでいた寄生虫であらねばならぬ。この寄生虫を殺しつくして、しかる後に真の自己が出てくるのである」(比田井天来)

 

Category :
書道