顔真卿(がんしんけい・709〜785)は、平原太守をつとめたことから顔平原(がんへいげん)、また魯郡開国公に封ぜられたことから顔魯公(がんろこう)とも呼ばれています。
代々学者の家系で、『顔氏家訓』の著者である顔之推(がんしすい・南北朝時代)や、その孫で『漢書』の注釈を書いた顔師古(がんしこ・唐初)らが有名です。
顔真卿は、初唐の三大家である欧陽詢・虞世南・褚遂良と並び、「唐の四大家」と呼ばれます。
左から欧陽詢(おうようじゅん)書「九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)」、虞世南(ぐせいなん)書「孔子廟堂碑(こうしびょうどうひ)」、褚遂良(ちょすいりょう)書「雁塔聖教序(がんとうしょうぎょうじょ)」で、一番右が顔真卿(がんしんけい)書「麻姑仙壇記(まこせんだんき)」です。
初唐の楷書は、すこやかで強い線と、緻密な構造によって、ゆるぎない美の姿を示しています。
その百年後にあらわれた顔真卿は、この誇らしげな表現をそのまま受け継ごうとはしませんでした。
むしろその規範を打ち破り、初唐にはなかった新しい書の価値を示そうとしたのです。
顔真卿は生涯の間に多くの書を残しましたが、「一碑一面貌」と評されるように、極めて多彩です。
典型的な楷書をご紹介します。
多宝塔碑(たほうとうひ・752年・44歳)
現代に伝えられる顔真卿の書碑の中で、もっとも若いときに書かれたのが「多宝塔碑」です。
整った美しい楷書で、高い技術を示しています。
東方朔画賛碑(とうぼうさくがさんひ・754年・46歳)
顔真卿は宰相であった楊国忠に憎まれ、平原郡の太守として赴任しますが、この地を支配していたのは、後に謀反を起こす安禄山。
反乱を企てる安禄山との確執の中で書かれたのが「東方朔画賛碑」です。
太く、たくましく、エネルギッシュな文字が並びます。
李玄靖碑(りげんせいひ・777・69歳)
道士、李含光(号は玄靖)の墓碑です。
計算された美を求めず、正直さを深く愛した彼の本質が遺憾なく発揮された書です。
大きく空間を抱いた雄大な字形と沈着した強い線は、晩年の最高傑作の一つと言っても過言ではないでしょう。
自書告身帖(じしょこくしんじょう・780年・72歳)
顔真卿が太子少師(皇太子を教育する役割)を命じられたときに、その辞令を自ら書いたもので、真蹟も残っています。
このときの年号により、「建中告身帖」または「建中帖」ともいいます。
筆の弾力を効果的に用いた、いきいきとした表現です。
それでは、これらの顔真卿の楷書の中で、「麻姑仙壇記」はどのような特徴があるのでしょう。
麻姑仙壇記(まこせんだんき・771年・63歳)
顔真卿は大暦三年(768)に撫州の長官になりました。
調べてみると撫州南城県にある麻姑山は、麻姑という仙女が修行した山だということがわかりました。
麻姑は美しい仙女です。
王方平という仙人に呼ばれてあらわれた麻姑は、年の頃は18〜9、頭の上に髷を結い、残りの髪は腰のあたりまで垂れています。
衣装は日に照り輝き、すべてがこの世のものとは思われないありさま。
「五百年ぶりですね」などと言っているので実際の年齢は謎ですが、お米をまくとそれがことごとく仙薬になったり、不思議な力を持っています。
中国では古くから神仙思想が流行していました。
不老長生し、空を飛んだり水の上を歩いたり、いながらにして千里の彼方を見通せたり、さまざまの奇跡を行う仙人たちは、人々のあこがれの的でした。
仙人が棲むのは俗界とは異なり、石穴や石室が多く霊気が満ちた聖なる山。
美しい仙女が修行した山が近くにあることを知った顔真卿はこれを喜び、麻姑の事績を書き残すことにしたのです。
顔真卿の楷書には表現が過剰になる傾向がありますが、この作品はその逆です。
打ち込みや止めの部分が強調されない素朴な線と、包み込むようなまろやかな字形。
この世のものとは思えない美しい仙女が、神秘的な仙界に遊ぶさまを彷彿とさせる、瀟洒な趣きを感じさせます。
それでは麻姑仙壇記の文字を取り上げて、九成宮醴泉銘や孔子廟堂碑と比較してみましょう。
「門構え」の左右の長縦画の構えかたに、顕著な違いが見られます。
九成宮醴泉銘と孔子廟堂碑は背きあうように反っています(背勢)が、麻姑仙壇記は内部をふくらませるような曲線(向勢)で、ふっくらとしています。
麻姑仙壇記の「耳」は両縦画の間を広く、ゆったりと作っています。
文字の概形は、左二種より正方形に近い長方形です。
麻姑仙壇記では最終画が一番太く、途中からさらに太く書いています。
偏旁それぞれの中心の縦画の長さにも注目しましょう。
麻姑仙壇記の最終画はとても短く、「示偏」の下端とほぼ同じ長さです。
そのため、概形はほぼ正方形で、重心が下がっています。
ぽってりとした素朴な味わいです。
ウ冠にも違いがありますが、その下、「豕」の形が異なっています。
「豕」の二画目、四画目、五画目は、九成宮醴泉銘では放射線状に開いていますが、麻姑仙壇記は平行に近い。
同じく三画目がきれいな円弧を描いているのも顔真卿の独特の特徴の一つです。
また、最終画の最後の筆画が割れていますが、これは「燕尾(えんび)」と呼ばれ、顔真卿の筆法の特色がよくあらわれています。
辶の最終画の長さが異なります。
概形に注目すると、九成宮醴泉銘はやや横長、孔子廟堂碑は横長ですが、麻姑仙壇記の場合はほぼ正方形です。
さて、顔真卿の作品の中に、時々、通常とは異なった字体があらわれます。
顔真卿の家系には代々篆書を得意とする人が多く、顔真卿も従来の楷書の点画に篆書的な要素を取り入れて、変わった字体の楷書を書きました。
「光」は麻姑仙壇記では左端の形に書かれています。
これは、篆書の形を楷書にあてはめたためです。
右端に「説文篆文」の字形を示しました。
顔真卿の楷書作品には、このような篆書の要素を取り入れた字体があちこちに見られます。
また、一般に、篆書を書く時には楷行草の場合より筆を立てますが、顔真卿の場合、楷書も筆を立てて書いています。
麻姑仙壇記には、「中字」と「小字」の刻本も存在します。
「中字麻姑仙壇記」です。
大字の「麻姑仙壇記」より素朴で、稚拙ともいうべき独特の魅力を持っています。
シリーズ・書の古典の「魏晋唐楷書小品」に収録されています。
こちらの本には現代語訳も載っていますので、お役立てください。
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