「書の古典の学びかた」第三回は「虞世南・孔子廟堂碑」です。

 

 

虞世南(ぐせいなん)書 孔子廟堂碑(こうしびょうどうひ)

 

628年、唐太宗(とうのたいそう)の勅命により、長安の国子監(国立大学)に孔子廟が建設されました。

これを記念して建てられたのが「孔子廟堂碑」です。

紀年はありませんが、628年〜630年の刻とされています。

虞世南が文章を選び、文字を書きました。

 

初唐楷書の名品として知られていますが、一つ、知っておきたいことがあります。

この碑石は建てられて間もなく火災でこわれ、則天武后の時代に重刻したということですが、それも唐代末期に失われました。

北宋以後に作られた復刻の中では陝西(せんせい)本と城武(じようぶ)本が知られています。

 

原石拓本としては「臨川李氏(りんせんりし)本」(三井本ともいう)ただ一本が存在するだけですが、その全ての字が原石本というわけではありません。

三分の一は復刻本で補ったり、塗ってこしらえられたりした字であると考証されています。

 

上の左のページは原石拓本ですが、右のページは復刻です。

点画はよく見えますが、肉筆のすっきりした趣が失われてしまいました。

シリーズ・書の古典「孔子廟堂碑」テキストシリーズでは、釈文の四角で囲んだ文字は復刻部分であることを示しています。

この点に注意して、釈文を確認しましょう。

 

 

では、「孔子廟堂碑」の臨書を始めましょう。

 

 

起筆と収筆が目立たない、紡錘形(ぼうすいけい)の筆画。

のびやかな運筆です。

温和であたたかい書の中に、高い品位が感じられます。

 

とても美しく調和しているので、そのまま見過ごしてしまいそうですが、一つ一つの文字を見ると、それぞれ個別の表情をもっていることがわかります。

 

筒井茂徳先生が考案された「概形(がいけい)」をとってみましょう。

(参考・筒井茂徳著『楷書がうまくなる本』二玄社)

二行目の「五緯」二文字は復刻です。

 

 

字形はかなり縦長、やや縦長、正方形、やや横長、かなり横長と変化に富んでいます。

「年」(3行目)はかなり縦長、「千」(3行目)はやや縦長、「徳」(4行目)は正方形、「者」(2行目)はやや横長、「以」(3行目)はかなり横長。

 

また、活字のように、正方形に押し込めようという意識がないので、2つ以上の部品が縦に並んでいる場合は縦長に(4行目の稟)、横に並ぶ場合は横長に(3行目の縦)なる現象がしばしば見られます。

 

これに気づかずに、すべてを同じような概形に書いてしまうと、平板で緊張感のない臨書になってしまいます。

 

 

続いて、孔子廟堂碑に見られる文字の特徴を見て行きましょう。

常識的な字形とは異なっているものを挙げてみます。

 

 

①長い縦画

孔子廟堂碑で目立つ特徴の一つに、美しく伸びた「長い縦画」があります。

概形と縦横の中心を示しました。

 

「千」

二画目の横画「一」はとても高い位置です。

右上がりでわずかに湾曲しています。

次の長い縦画は、自然に見えながら強い打ち込みから始まり、収筆の近くで細くなる紡錘形。

中央よりわずかに左に位置しています。

 

「命」

第一画の左払いと、第二画右払いの角度は、左右対称ではありません。

右払いのほうがなだらかで、途中から太く、長く書かれています。

そして最終の長い縦画。

筆先は紙に触れ、次第に太く、そしてわずかに右回りに進み、静かに止まります。

 

「降」

こざとへんの三画目と旁の最終画が長い縦画です。

最終縦画の前半部はやや右下方に傾きながら右回りに進みますが、後半部はわずかに左下方に傾き、こざとへんの縦画より長く書かれています。

 

 

②長いしんにゅう

しんにゅうが長く豊かに右へ伸びているのも、この碑の特徴の一つです。

 

しんにゅうではありませんが「之」の最終画も右へ長く伸びています。

「之」は、活字では二画目の起筆と四画目の起筆が離れていますが、楷書では、この碑に見るように近接させて書くのがふつうです。

二画目と三画目が途中で途切れているのは、空間を確保するため。

それに対して、三画目と四画目が作る空間は、大きくゆったりととられています。

最終画は第二節をほぼ直線に書きます(ややもすると上方に反った形になりやすい)。

 

 

③偏と旁が離れている

孔子廟堂碑には、偏と旁が離れた字が少なくありません。

穏やかでゆったりとした雰囲気は、こういう要素などに起因していると考えられます。

 

 

④旁が下がる

 

上の二字は、偏よりも旁の部分が極端に下がっています。

「勤」の旁を少し上げてみましょうか。

 

 

変更後の右の字形と比べると、オリジナルのすごさがわかると思います。

自由な感覚による自信に満ちた大胆な造形によって、すっきりとした強さと動感が生まれています。

これこそが、1400年の年月を生き延びた古典名品の真髄です。

 

⑤下部が右にずれる

上の三字は、上部に比べて、下部が右にずれています。

この現象は、孔子廟堂碑のみならず、多くの古典に見られます。

(『楷書がうまくなる本』では「重畳法」として解説されています)

 

⑥長い戈(か)法

長い戈法は、古典によく見られます。

ここまで長くすることによって、どんな効果があらわれるのでしょう。

 

 

活字と異なり、楷書体の横画は右上がりです。

これを補うのが「右下部分の強調」です。

今回で言えば、④旁が下がる・⑤下部が右にずれる・⑥長い戈法 がそれ。

ここに注意しないと、歪んだ字形になってしまいますので注意しましょう。

 

 

古典名品の字形は「平凡」ではありません。

とても長い縦画や右へずれる下部、長い戈法など、少々突飛に見える字形が少なくありません。

でも、これこそが名品の名品たる所以なのです。

 

日本人であれば、誰でも文字の形に対するイメージを持っているでしょう。

しかし、臨書するときに、かえってそのイメージにひきずられて、正しい形を見ることができなくなりがちです。

まずは先入観を捨てて、原本の字形をじっくりと観察しましょう。

そして、原本と見紛うほど、そっくりに書いてみましょう。

その中から、今まで知らなかった新しい造形の可能性が生まれるかもしれません。

 

書の古典の学びかた

「王羲之 蘭亭序を学ぶ」はこちら

「欧陽詢 九成宮醴泉銘を学ぶ」はこちら