筒井茂徳先生のブログの最新記事「書法その1」で「用筆」がとりあげられました。

点画は作品によって異なった形になっており、その形は 用筆(筆遣い)が決定するというお話です。

 

ところで古典名品がどのような筆法で書かれたか、興味がありますね。

今から千年以上前の筆法は想像するほかありません。

でも、現代に近づくと、作品とその実際の筆法を知ることができます。

ご紹介しましょう。

(以下の画像は、佐久市近代美術館で開催された「現代書道の父・比田井天来」図録からも引用しています。)

 

 

今から百年ほど前のことです。

 

日下部鳴鶴(くさかべめいかく・1838〜1922)は、1880年に来日した中国の楊守敬(ようしゅけい)から「廻腕法(かいわんほう)」を学び、それ以降、すべての文字を廻腕法で書いたといわれています。

上の写真、左は日下部鳴鶴が「廻腕法」で執筆しているところです。

長く、柔らかい毛の筆を垂直に立て、そのままの角度を保ちながら書いています。

 

比田井天来(ひだいてんらい・1872〜1919)は鳴鶴の弟子ですが、鳴鶴と異なり、剛い毛の筆を用いました。

紙に対して垂直ではなく、斜めに構えます。(写真右)

筆法は俯仰法(ふぎょうほう)です。

筆が進む方向に筆管が倒れていく書き方です。

 

比田井南谷が実演しています。

「中」字の縦画を書くところです。

最初は比較的筆管が立っていますが、書きすすむにつれて、筆管が手前に倒れていくのがおわかりだと思います。

線に厚みが出る筆法です。

 

では、二種類の筆法が字形にどんな影響を与えるのか、見てみましょう。

左は、日下部鳴鶴が長鋒羊毛筆による「廻腕法」で臨書した皇甫誕碑(こうほたんひ)

右は、比田井天来が剛毛筆による「俯仰法」で臨書した雁塔聖教序(がんとうしょうぎょうじょ)です。

1の打ち込み部分、2のはねの部分、3の起筆と収筆の形など、点画の形が異なっています。

 

ご注目いただきたいのは、天来臨書(右)のハネ(2)です。

筆管が手前に倒れているので、ハネの高さが高くなっています。

 

実は天来は、鳴鶴に入門した頃から40歳代半ばまでは、羊毛筆廻腕法で書いていました。

その後、剛毛筆俯仰法に変え、晩年には羊毛筆による俯仰法を用いました。

筆と筆法の変化は、作品を変えていきます。

 

天来の作品を若い順に並べてみました。

左から、30歳代(廻腕法)、45歳(廻腕法の特徴が残っている)、50歳代(剛毛筆俯仰法)、60歳代(羊毛筆による俯仰法)。

点画の形のみならず、すっきりとした強さが生まれていく過程が見られます。

 

比田井天来の筆法の変遷については、自身の文章がありますので、ご参考までに。

「道人の使用した用筆の変遷」はここをクリック。

 

 

さて、現代の書壇では、さまざまの筆が用いられ、多彩な筆法で揮毫されています。

その基礎を築いたのは、20世紀初頭に生まれた作家たちでした。

敗戦のショックの中から立ち上がり、独創的な書を残したのです。

 

伝説の巨匠が作品を書いている動画は、天来書院DVD「書ー二十世紀の巨匠たち(全6巻)」で見ることができます。

 

 

左は、「逆入平出」という筆法で書く西川寧先生。第一巻

中央は、叙情的な作品で知られる手島右卿先生。第4巻

右は、筆を立て、静かに、そして力強く筆を運ぶ日比野五鳳先生。第5巻

 

独創的な作品の裏には独特の筆法があったことがわかります。

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