急に秋になりました。
この連休で外出した方が増えました。(ちょっと心配)
私たちも、久しぶりにお食事に行きました。(混雑が心配だけど)
新丸子の「升かね」さんとのお付き合いは、もう20年以上。
このブログでも、たびたびご紹介しています。
家族だけで営んでいる小さなお料理やさん。
なんと、江戸末期から続いていることは、今回初めて知りました。
メニューは、うなぎやおさしみ、煮物やてんぷらなど、王道を行きます。
何を食べても美味しいので安心♡
幸い、混雑していませんでした。(前の日は混んでいたらしい)
かんぱーい。
なんと8ヶ月ぶりです。
(外食は、という意味です。念のため)
コロナ禍で変わったことは、まずパーティーや宴会がなくなった(それかい?)。
そして、おうちで飲むお酒もなかなかよい! ということを再確認。
そんな方も多いのではないでしょうか。
青柳のぬたと自家製塩辛です。
さて、コロナ禍で変わったことの続きです。(飲んでばかりいるわけではありませんぞ)
出かけなくなったので、家にいる時間がものすごく増えました。
連休でも旅行に行けない。
何する?
臨書でもするか。
うそだろーって? ほんとなんですってば。
お刺身盛り合わせは1700円なり。
で、臨書のお話です。
今までのやり方とはちょっと違う方法でやっているのですが、これがなかなかおもしろいのです。
そもそものきっかけは「楷書がうまくなる本」(筒井茂徳著・二玄社刊)。
比田井南谷という人は、文字を書かない書を始めただけあって、文字の形にすごくうるさかったのです。
一字を書く時にお手本を100回見なさい。
なんてことを言っていました。
でも、ほめられたのは、線質がよくて形がうまくまとまった時。
大切なのは「線」なんだ、と感じていました。
でも、「楷書がうまくなる本」は、徹底して「形」について述べられています。
唐の三大家の楷書の字形を分析し、美しさの原理がていねいに解説されているのです。
こういうことって、現代日本の書道界では無視されているけれど、
閉塞的な状況の中、ここに何かヒントがあるような気がする・・・。
今は亡き巨匠たちが築き上げた価値観に浸っているばかりではいけない!
で、ブログ「古典臨書の学びかた」を書き始めました。(影響されやすい)
鯖の味噌煮。
こっくりと、秋鯖の味を際立たせた美味しい味噌煮です。
そして、そして、そして、
これです、これ!
焼酎のあっついやつ、ではありません。
松茸の土瓶蒸しです。
ハモやエビ、銀杏、みつばも入った具沢山。
あっつあつの薄味のおつゆに、ほっとあったまります。
臨書のお話をしながら、食べ物ばかりで古典の画像がないのがいいなあ。(いいのか?)
つまり、とことん「形」にこだわった臨書です。(唐突に再開)
それではっきりとわかったこと。
古典の字形は、縦画や横画や戈法が異常に長かったり、右半分が極端に下に下がっていたり、下半分が右にずれていたり。
唐の楷書全般に共通したり、あるいは書いた人や作品によって違ったりしていますが、とにかく尋常ではない形になっている。
それなのに、違和感はまるでなく、自然です。
「奇」を含んだ「自然」。
字形や大きさ、傾きも変化に富んでいる。
だからこそ、生き生きとした美しさが生まれているのではないか。
そう思いながら臨書すると、発見がいっぱいあって、とてもおもしろいのです!
最後はやっぱりうな重!
手前のお茶碗は、取り分け用のもの。(一人で全部は食べ切れない)
お酒も三本しか飲まなかったし。
年だ!
年なのに、今さら新しいことを始める私ってなんだろう・・・。
(懲りない性格)
最後に宣伝
顔真卿・自書告身帖を学ぶ は準備中です。