2018年8月、高知新聞社の池添正さんからお手紙が届きました。

高知県に比田井天来が書いた石碑があるというのです。

 

書かれている文字は「フランクチャムピオン之碑」。

 

1917年10月30日に高知上空で曲芸飛行を披露中に墜落死したアメリカの飛行家、フランク・チャンピオンを悼んで、翌年5月に建立されたもの。

福原云外先生が自著『墨の滴』の中でこの碑について「片仮名を実に堂々と碑にのせて、先生の力量を示している」と書いていらっしゃるそうです。

 

なんて明るい作品なんでしょう。

「之碑」は確実に天来書。

片仮名の部分は確定できないので、「このように明るくおおらかにカタカナを書いたのが天来であったらとてもうれしい」とお答えしました。

でも、カタカナ部分と「之碑」を書いたのが別人のはずはないので、天来の書と断定すべきですね。

 

それから一年半の間、池添さんとはメールでのやりとりを続け、このたび、高知新聞の記事になりました。

新聞の記事をそのままここに掲載することはできませんが、タイトルだけはネットで見ることができます。

 

フランク・チャンピオンを高知に招いたのは侠客の鬼頭良之助(本名は森田良吉)。碑の建立者でもありました。

碑文の文章は、当時の帝国飛行協会会長である大隈重信に依頼したとのことなので、文字は天来に依頼したのでしょう。

 

新聞には、私が提供した当時の写真も掲載してくれました。

記事のこの部分だけは、もう少したくさん見ることができます。

 

ときは1918年4月3日、場所は高知県桂浜です。

中央で帽子をかぶり、口ひげを生やしたのが比田井天来、左に川谷横雲の姿があります。

池添さんも指摘されていますが、下段左端に大きなひょうたん徳利を口にあてている男性がいたり、横雲の帽子にひょっとこのお面がついていたりするので、料亭の女性をつれて浜辺で宴会をしたときの写真みたいですね。

 

宴会だと? 私たちもやらねば!(またこれだ)

 

この当時の新聞記事もあります。

 

1918年3月15日の土陽新聞の記事です。

 

高知・土陽新聞社主催の書道講演会は24日午後より県公会堂に於て開会されたり。

聴講者70余名にして先ず川谷横雲氏の開会の辞に併せて比田井天来氏の照会ありて次に比田井氏の有益なる講演あり。

 

天来は各書体を実際に書いてみせたようですね。

古典を大切にした天来ならではの講演だったのではないでしょうか。

天来はこのあと称名寺に滞在して、希望者の求めに応じて作品を書き、頒布したようです。

 

別の新聞記事によると、「昼間は一般の人の求めに応じて揮毫し、夜は書家と懇談した」とあります。

懇談にお酒はつきもの。やっぱりね。

(それを強調する私も私だけど)

 

天来は日本全国をまわって作品を書き、頒布しましたが、作風は場所によって異なっているような気がします。

たとえば青森県弘前では、豪快で迫力にあふれた作品が多く、高知では、このような明るいおおらかな作品が残されています。

現代と異なり、当時の旅は困難で時間もかかりました。

そんな不自由さが、その地方独特の文化を育んでいたのでしょう。

 

今回の高知新聞の記事は「書家と碑文」シリーズの第一回です。

これからどんな碑が登場するのでしょう。

楽しみです。

書道