川谷尚亭遺墨展

2018年8月3日

来る8月5日(日)から12日(日)まで書宗院展が開催されます。毎年、充実した特別展示が楽しみですが、今年は「川谷尚亭遺墨展」。

壁面には、高知県安芸市の川谷家と書宗院関係の方々が所蔵する作品、展示ケースには、画帖仕立ての半紙臨書、短冊、書翰、『書之研究』誌掲載の原稿などが展示されるそうです。

 

私が最初に川谷尚亭を知ったのは大学生のときでした。

大学の4年間と大学院3年間、私は臨書に夢中でした。なんといっても、家には拓本や書籍はいっぱいあるし、父のアトリエの大きな机には毛氈がかけてあって、いつでも臨書ができたのです。好奇心旺盛で、片っ端から臨書したのですが、大好きだったのは王羲之の尺牘(今も)。私の臨書を見て、父が「こういうのもあるよ」と出してくれたのが、川谷尚亭作品集。そこに王羲之尺牘の臨書があったのです。

今回の遺墨展にも王羲之の臨書が出ます。

 

なんてうるおいに満ちた、美しい臨書なのだろう! 「川谷尚亭」という名前は、ここでしっかりインプットされたのでした。

 

今回展示される作品の中から三点ご紹介します。

明るく清らかでありながら、凛とした強さを持ち、美しいしらべが響いてくるよう。

 

漢詩を作品に書くための草稿です。小さいながら、丁寧に書かれています。優れた技術がうかがえます。

 

画帖仕立てに表具された半紙臨書の中から、王羲之蘭亭序と集王聖教序の臨書。気迫のこもった臨書から、王羲之への深い愛情を感じます。

 

 

上は、尚亭が主宰した雑誌『書之研究』に掲載されたものの原本です。字のすばらしさもさることながら、心のこもった指導の様子がよくわかりますね。

 

手島右卿先生編『尚亭先生書話集』という厚い本があります。その「序文にかえて」からは、手島先生の熱い想いが伝わってきます。

平明朗暢、その人の如く、書の如く先生の文辞は清く美しいが、その文中揺ぎなく一貫して我等の肺腑を打つものは、常に正しきを教えんとする烈々たる気概であり、信念である。今や書道界はいよいよ混乱して帰趨するところを知らない状態である。この秋にあたり、私は本書が広く行われて全書道人に親しまれんことを祈ってやまないのである。

 

手島先生が書かれているように、この本には、「常に正しきを教えんとする烈々たる気概」を強く感じます。目次からしてすごい。

「骨力を養え」「古人と競技せよ」「先ず奴書たれ」「万象を師とせよ」「実用書を軽んずるな」「感受性を養え」「俗を去り雅につけ・偏を棄て正に帰せよ」「書論を読め」etc

 

花間独語(部分)

△書の尊ぶところは気韻にあり。筆力にあり。いたずらに形態に拘泥し、技巧に浮身をやつすが如き不見識笑うべし。

△芸術の尊ぶべきは創造にあり。何を苦しんで古人の糟粕死人の形態に恋々たる。

△自己胸中激烈なる感情の溢れて筆端に流るるもの即ち我が書、しからざればこれ書なるも遂に我が書ならず。

△由来東洋人は古を絶対視し、因襲に拘泥し、個性を滅し、他人を模倣するの欠点あり。書道においてことに然り。これ書道の時世にとともに降る所以か。すべからく活眼を開いて看破しあえて道学者のたわごとに迷うなかれ。

△しかれども書の妙は点画の間にあり。結構の内にあり。ここにおいてか、衆碑を歴観し、諸帖を玩味し、広く古今百家に通じ、衆長を採ってもって自家薬籠中のものとなすべし。これ碑帖研究の価値あるところ。

△故に唐を学んで唐を出ずるあたわず、六朝を学んで六朝を脱する能わざれば遂に書家たる能わざるなり。

 

臨書をもって、模倣に堕ちて個性を害する如く観る人もあるが、浅見である。私は臨書によって模倣を脱し、個性を自由に表現することができると思う。

 

核心を突くことば、迫力ある文章、たくさんの人に読んでみてほしいと思います。(新活字・現代仮名遣いにしました。ごめんなさい)

 

最後になりましたが、8月10日(金)に「川谷尚亭パネルディスカッション」があります(11:40〜12:30・都美術館講堂)。パネラーは高橋蒼石先生、吉野大巨先生を中心に、古谷春峰先生、真藤純一先生、佐藤容齋先生、谷川北厓先生の予定。誰でも聴講できますので、興味のある方はおでかけください。

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書道