「書譜」は作品に書きたい名言の宝庫

2017年4月26日

草書の名品「書譜」をじっくりと読むと、書の深奥を述べた名言がたくさんあることに気づきます。さすが孫過庭先生! ちょっと色紙に書いてみたい場合も便利です。なにせ、草書のお手本付き♡

孫過庭 書譜こうして見ると、書譜の字は美しいですね。右からいきましょう。「古不乖時。今不同弊。」現代語訳は「古法を守りつつも時流から外れず、現代的でありながら時弊に染まらない。」
臨書を大切にしつつ、現代にふさわしい作品を書く。しかも類型化ちゃだめですよ、なんて、まこと言い得て妙!

次は「自然之妙有。非力運之能成。」「それはまるで天然の美そのままであり、作為的な技巧によってできるものではない。」
作品に作為が感じられると、なんだかがっかり。人が書いたものであっても、自然が造り出したような美しさがある、って、そりゃー理想!

最後は「人書倶老。」
この前に、三段階の書境について述べられています。初期、点画の配置や構成を学ぶ段階には、ひたすら端正を心がける。端正に書くことができたら、つぎに奇抜に書くことを追求する。奇抜に書けるようになったら、ふたたび端正に帰る。初期にはまだ及ばないと感じ、中期には過ぎたと思うようになり、その後はじめて過不及が総合された境地にいたる。そして「人も書もともに老成する」。

まさに、東洋の心、ここにあり!

お読みいただくとおわかりのように、伊藤文生先生の現代語訳がとってもわかりやすいのです。もうちょっと紹介しましょう。書のすばらしさについて、美しい風景にたとえて述べた部分。

懸針・垂露・奔雷・墜石というめずらしくも見事な筆法、あるいは鴻が飛び・獣が駭き・鸞が舞い・蛇が驚くというような姿態を見せる用筆、絶岸・頽峰・臨危・拠槁 と名づけられた文字の形勢を観察すると、崩れる雲のような重量感あり、セミの羽のような軽妙さあり、わき出る泉のような流れあり、山のようにどっしりとした安定感がある。また、ほっそりとした新月が天空のはてに出たような、数多くつらなる星が銀河にきらめいているような構成。それはまるで天然の美そのままであり、作為的な技巧によってできるものではない。あきらかに、見識と技術とがともに優れ、心(感興)と手(技法)とがあいまって暢達した結果なのである。

だれか一人を師として学んでも、書風は多様に変わり、学ぶ人の個性に応じて、その書も異なる表情を見せる。質朴な人は、書もまっすぐだが魅力に乏しくなる。剛直な人は、書も剛強だがうるおいに欠ける。律儀な人は、型にとらわれがち。おおざっぱな人は、文字の規範から逸脱する。温和な人は、軟弱になるきらいがある。勇み肌の人は、脅迫するかのよう。疑い深い人は、渋滞してしまう。鈍重な人は、ぐずぐずもたつく。軽薄な人は、こせついた役人の俗習にそまった字になる。いずれも独学では、その書も個性が癖となってしまい、偏頗なものとなるのである。

さあ、自分はどのタイプかな? なんて考えてしまいますね。最後に、優れた書とは何か?

数本の筆画を並べることから、おのおの異なる字形ができ、多くの点を同じように打っても、一つ一つの字はそれぞれ違う。一つの点が一字を規定し、その一字が作品全体を決めるもととなる。一部に違和感があるようでいて破綻はせず、調和しながら一律ではなく、滞留しながら遅筆に終始するというのでなく、奔放に書きながら常に速筆ではなく、渇筆になりまた潤筆に、濃艶からまた枯淡となり、方円を画くに方円の規範を意識せず、曲直を画くにその法則性にとらわれない。明快にまた晦渋に、表出したり退蔵したり、筆端は姿態の変容をつくし、紙上に情懐が統合されて、心と手とが一体となり、筆法の規範を忘却した無心の境地に達したならば、王羲之・王献之(の筆法)にそむいても過失とならず、鍾繇・張芝(の筆法)と相違しても巧妙な書であるということができよう。

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書道