2010年10月 5日

新佐久市発足5周年記念特別企画展「現代書道の父・比田井天来」

01 美術館入り口s.jpg
9月29日30日は陳列(すっごくたいへんでした)、10月1日は内覧会、そして10月2日から展覧会が始まりました。



展示は4室。すごく充実していると思います。私としては大満足。

01 美術館入り口.jpg
駒場講演のあちこちに、展覧会の掲示がされています。これが美術館の入り口。

02 臨書.jpg
最初の部屋には拓本60点と天来の臨書(ホンモノが裸で)が展示されています。テレビや新聞の取材で、先生のお手本を臨書することを否定し、直接拓本を学んで独自の書を書くことを目指したんですよ、と説明すると、びっくりしてます。

03 屏風.jpg
ここは屏風の部屋です。パネルはすべてなくして、広〜い空間を作りました。とってもよいです。
ポスターでもご紹介した「龍跳」屏風、みんなびっくりして見てました。迫力と充実感、すごいですね。

04 鵞など.jpg
全紙に一字「鵞」。これも大迫力。二つの万歳。右端は「破体書」といって、いろんな書体がまざってます。

06 上田城など.jpg
五十歳代のスペースです。右端は上田城にかかっている「難攻不落の処」。二度にわたる徳川軍の攻撃を撃退した上田城にふさわしいことばです。左端は望月小学校の体育館にかかっている額。これもすごいです。

05 書翰.jpg
天来は書家だけでなく、文化人とも親しくしていました。右上は嘉納治五郎宛の書翰で、下は嘉納治五郎から天来への書翰。左上は松方正義から天来へ、下は朝鮮総督だった斎藤実から天来へ、もう一つのケースには犬養毅から天来へ、天来から犬養毅への手紙があります。
急激に西欧化していった当時、東洋文明を残すべく、天来を応援した人々です。

07 最晩年.jpg
この壁面には最晩年、67歳の作品だけを陳列しました。
天来は昭和12年の暮れに癌の兆候が現れ、翌13年2月15日に東大病院に入院して手術を受けますが、入院を待つ1月末から2月15日にかけて、「戊寅帖」に掲載される作品を書きました。今回はこの中から6点を展示します。
また退院したあと、鎌倉で静養します。病は次第に悪化して、ベッドから起きられなくなりますが、NHKに依頼された「放送会館」題字を書かなくてはならなくなり、特製ベッドを作って寝ながら書きました。これといっしょに十数点の条幅や扁額を書きましたが、これらには「老人」という落款があります。今回は「老人」落款の作品を7点展示することができました。天来は翌1月4日に他界するので、死の3ヶ月前に書かれたものです。
生涯にわたって新たな世界を拓き続けた天来。最晩年の作品こそ、最後に到達した境地を示すものといえます。

08 天来自然公園.jpg
最後に、天来生家の裏山にある「天来自然公園」を再現したスペースです。信州鉄平石株式会社さんが、所蔵のミニ碑を使って作ってくれました。
ほかにも作品やパネルがいっぱいで、内覧会のときの会場説明は45分で終了しようと思ったら、はしょりにはしょったにもかかわらず1時間15分もかかりました。
今後はこれほどの展覧会はできないと思います。12月5日までのロングランなので、ぜひぜひ見にきてくださいね。

同じカテゴリの記事一覧