第16回 天来先生のかくし芸 / 田中一誠
門人の証言
天来は書の常識的な価値観に満足せず、常に新たな世界を開拓し続けましたが、日常生活でも人を驚かせることが好きだったようです。天来のとっておきの「かくし芸」とは何だったのでしょう。
木に登った天来。昭和10年、台湾での一こまです。おちゃめですね。
先生は外出するときは、たいてい、法帖をフトコロに入れて出かけられ、電車の中で、書見に余念なく、つい乗り越されたことがたびたびあったと聞いた。
また、こんなこともあった。先生はこうもり傘を電車やバスの中に置き忘れることがたびたびであったので、子どもさんたちによく注意されたそうである。さすがの先生もその注意をキモに銘じたのか、ある日、珍しく外出先から傘を手にして帰宅されたが、アニ計らんや、それは女持ちの傘であった。これを見てとった子どもさんたちは「オトーマ(お父さま)、それはどうしたの。」「ヤッしまった。さては隣りの席の夫人のを持ってきたかナ。」
某貴族院議員のお嬢さんとの結婚祝いに屏風一双を贈るため、その揮毫方を某富豪から依頼された。先生はそれを快諾されたが、約束の日までに間に合わなかった。事務局の田中雄太郎さんが「先生にたびたび催促したのですが、とうとうお書きになれなかった。大変損をしましたね。」先生はサット顔色を変えられ、「忙しいには忙しかったが、構想を練っているうちに、とうとう書けなかった。本当に申し訳のないことをした」といわれ、アタフタとお詫びに出かけられたのであった。
先生のお誕生祝いのときであった。和やかな席上、それぞれ「のど自慢」や「かくし芸」で興を添えたのであるが、「先生も何かひとつ...」と所望されたので、乞われるままに、赤毛布を頭からスッポリ被り、「シュッ、シュッ」と口走りながら、左右の腕を交互に突き出したのである。これを見ていた誰も彼も、これは何を表現しているのかサッパリわからない。「それは何ですか」と質ねてみたら「これは線香花火である。」聞いて一同思わず爆笑し、大カッサイであった。先生の「かくし芸」は、これがトッテオキのものであり、よほど上機嫌の時にやられたようであった。
ある日、それはどこの園遊会であったか、それを詳らかにしていないが、当代一流の名士が大勢、キラ星のごとく出席し、和気あいあいたるパーティーであった。外国人もチラホラ見受けられた。
ところが、大学教授の一人が、当代にときめく天来先生を、外国婦人に"Chinese Caracter Hidai"(原文のママ)といって紹介したので、先生はインギンの頭を下げたまではよかったのであるが、その婦人は手を出して握手を求めた。先生はびっくりして、あわてて手を引っ込めたのである。先生はこの失敗を、後の日まで語り草にされていた。