第6回 父の好物 / 比田井抱琴
家族の証言
比田井天来と小琴の間には、男の子が4人、女の子が3人生まれました。 今回は、長女抱琴(最初の子ども・ゆり子)の文章をご紹介します。
父はおこげのご飯が大好きだった。
朝食の時、お鉢の中をのぞき込んで「焦げ付きくれや、そこにある焦げ付きを」と頼んでいたのを思い出す。
父からこんな昔話を聞いたことがある。
若いとき、一人で自炊していた頃のことである。朝、眼がさめたので、お米を炭火にかけ、時間を見計らってめざまし時計をかけて又床の中へもぐりこんでし まった。時計がじりじり鳴り出した頃は、もう白川夜舟、夢中でめざまし時計を布団の中へつっこんで、足の方へぐんぐん押しやり、また眠ってしまったそうで ある。
さめたらご飯は黒焦げになっていたという。おこげの味もこの頃に覚えたのであろう。
食物の中で特別に好きだったものは「すきやき」であった。
父の幼時、信州の田舎のこととて肉類はあまり食べなかったが、父の祖父が老年の養生のため、時々自分の部屋で牛肉と野菜をごとごと煮ていたそうである。父は祖父の部屋へ遊びに行っては、時々ご馳走になったとか。
大体子どもの時、食べつけたものが好きであった。
好物は味噌汁(八丁みそ)。
漬物。殊に信州のまなの塩漬けが好きであった。この頃市中に野沢菜としてビニールの袋に入れて売っている、あの漬物であるが、信州で一樽に漬け込んで、 ジャブジャブ水の上った中から一株ずつ出して食べる味は、あんな水っぽいものではない。郷里の親戚に頼んで、毎年一樽で送ってもらっていた。
その他、好物だったものは赤飯、ぜんまい、干にしん、塩鮭、豆餅等。
かつおぶし。書会の時など時々「かつおぶしかけや」と父はいった。かつおぶしのお茶漬けが好きであった。
ほうとう。これは郷土料理で手打ちうどんに野菜を入れ、味噌で煮込んだものである。父はガンが再発して鎌倉書学院でねていた時、信州の親戚のおばさんが父のお料理作りに来てくれて、よくほうとうなども作ってくれた。
よそのお宅で何をご馳走になったかということは、家へ帰ってあまり話さなかったが、「桑島君のお宅へ行ったら、干にしんの煮つけを出してくれたよ」と、帰ってすぐに私に話した。そのときあまり嬉しそうだったので、今でも覚えている。
幼時信州の山奥で生のお魚が不足だったせいか、おさしみ等は特に好きではなかったようである。
嫌いなものは丼飯である。来客が多かったため、急ぐとつい出前の丼物をとるようなことになってしまう。又他家へ行っても丼物をご馳走になったのでは、つくづく閉口したようである。
父はよくこんなことを言った。「煮物に砂糖を入れてはいけない。そのものの持ち味がなくなるから」と。