比田井南谷HPの最新レポートは、ムー教授による「カンディンスキーと南谷−抽象絵画と抽象書」。

抽象絵画の始まりと抽象書の始まりに関する初めての本格的な論考です。

 

 

南谷が「電のヴァリエーション」を書いたのは終戦の年。

これを義兄の角博さん(洋画家)に見せたところ

「日本のカンディンスキーだ」と言われ、

カンディンスキーって誰だ? と興味を持って書籍を買い集めました。

バウハウス叢書カンディンスキー著『点と線から面へ』のドイツ語原本をはじめとして、英語、日本語の書籍が、今も南谷のアトリエにあります。

 

では、南谷はカンディンスキーのどこに興味をもったのか。

大きな要因の一つに「線」があると思います。

 

これは、1912年に描かれたカンディンスキーの作品「最後の審判」です。

画面のあちこに黒い線がうねっています。

そもそも西洋絵画は、輪郭線を描き、その内部に絵の具を塗るもの。

でも、ここに描かれた「線」は輪郭線ではなく、動きを感じさせる独立した「線」です。

 

この絵、厳密に言うと抽象絵画ではありません。

あちこちに、具体的な形象の名残があるんです。

 

カンディンスキー

「最後の審判」に先立つ1911年に描かれたガラス絵です。

(グッゲンハイム美術館で無料公開している画集からとったのでモノクロですが、本当はカラーです。)

「最後の審判」よりもモチーフが具体的でわかりやすく書かれています。

 

カンディンスキー

 

右上のオレンジ色で囲った部分は「ラッパを吹く天使」。

その左下、緑色の部分には「エリアの昇天(あるいはアポロンの馬車)」。

その下、青の部分には「ボートを漕ぐ人」。

画面中央の赤い部分は「抱擁するカップル」。

これらの形象が、だんだん抽象化されていきます。

 

もう一回「最後の審判」を見てみましょう。

 

右上に「ラッパを吹く天使」、その左に赤く塗られているのは「エリアの昇天」です。

 

上はレポートでもとりあげられた「即興28」。

画面左に「ボートを漕ぐ人」、

画面右には「抱擁するカップル」が細長〜く線で描かれています。

 

つまり、カンディンスキーが描いたのは単に抽象的な形や色ではないのです。

カンディンスキーが描く「線」には「意味」があるのです。

 

芸術は「何を」「如何に」描くかということが問題である。

現代の芸術家は「如何に」ばかりを重視して「何を」を忘れている。

これは誤りだ。

カンディンスキーはそう考えていました。

 

西田秀穂訳・カンディンスキー『抽象芸術論−芸術における精神的なもの−』(美術出版社)から引用します。

 

芸術における「何を」という問いは、まったくその姿を消してしまって、後に残る問題は、同じような物質的な対象が「如何に」芸術家によって再現されるか、ということだけになる。この問題が「信条」となる。芸術はその魂を失っているのだ。

 

「何を」描くか。それはテーマを正確に描くことではない。

大切なのは「色」と「形」によって、テーマの本質を描くこと。

そのための大きな要素が「線」だったのではないでしょうか。

 

 

1922年から教授として指導していたバウハウスの動画サイト。

ここに、カンディンスキーが作品を書いている動画が公開されているのですが、

見てびっくり。

筆の使い方がすばらしいのです。

指を使わず「腕」全体で、のびのびと書いているではありませんか!

これだから、線に強さと生命感が生まれるのですね!

南谷と同じ書きかたです!

 

カンディンスキー

最後に、線を主体とした、まるで水墨画のようなおしゃれな作品をご紹介します。

カンディンスキーが描いた「lirycal」(1911年)です。

単純な線によって、疾走するスピード感まで感じさせています。

 

 

「抽象絵画の祖」であるカンディンスキーは「いかさま師」とまで言われ、南谷も「文字を書かないものは書ではない」と言われ続けました。

多くの反論や中傷があったにもかかわらず、新しい表現を求め続けた二人。

その共通点の一つが「線」に対する新しい意識だった。

 

そんなふうに私は思います。

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