『段氏述筆法』の扉 日下部鳴鶴書 高橋蒼石蔵

日下部鳴鶴朱筆書き込み本『段氏述筆法(だんしじゅつひっぽう)』について、少し述べてみる。

清の段玉裁(雍正13・1735~嘉慶20・1815)の著。明治16年(1883)に東京の鳳文館から発行された。鳳文館は明治15年に開業し、同21年(1888)に廃業した、漢籍専門の書肆(書店・出版社)である。創設者は前田黙鳳(1853~1918)と山中兵衛という人。中国書籍の翻刻本や漢詩文集、書論や字典などを発行した。『佩文韻府(はいぶんいんぷ)』『康煕字典』『資治通鑑(しじつがん)』などである。当時の漢学者、書家、画家の錚々たる人たちの執筆などによって支えられた。

『段氏述筆法』の編集は矢土錦山(やときんざん)、題字が三条実美、序文は川田甕江(かわたおうこう)他。甕江の序文を鳴鶴が章草体で書いている。跋文は松田雪柯と巌谷一六。本文と後序を松田雪柯が書いている。実はこの本には前置きがある。

前回にも書いたが、明治13年5月に日本に来た清國の書家・楊守敬に、日下部鳴鶴、松田雪柯、巌谷一六は、多くの疑問に対しての説明、指導を受けている。潘存の書法について、廻腕法の執筆について、書道史上の種々資料についてなどである。この時、テキストとして持参したのが、「述筆法堂清談会」の代表・松田雪柯が同年2月に、限定80部を自費出版した『段氏述筆法』(明治13年版)なのであった。

欄外に書かれた日下部鳴鶴の朱書 高橋蒼石蔵

今回紹介するのが、本文のみであった雪柯自家版に、序文や後序等を増補した明治16年・鳳文館版である。版木の刻は当時の名手・木村嘉平である。左版(ひだりばん)の刷り(左右反転した逆文字彫りの版木に墨を塗り、上に紙をのせてバレン等で擦る)である。

鳴鶴は楊守敬との筆談メモ等を整理し、質問文とそれに対する返答や、廻腕法での腕の構え方と点画の作り方などを、欄外にびっしりと朱墨で書き込んだのであった。おそらく発行後、数年経ってのことと思われる。

欄外に書かれた日下部鳴鶴の朱書 高橋蒼石蔵

昭和60年ごろ、比田井南谷先生から日下部鳴鶴関係の書籍や資料をお譲りいただいた。鳴鶴から天来、南谷と伝えられた品物である。中には楊守敬、呉大澂との関係の深さを物語るもの、明治、大正、の人たちと繋がるもの、さまざまである。これらは今、自分自身の書のテーマの一部となっているのは確かである。