最初に述べたように、硯は実用硯と鑑賞硯とに分けることができます。オーソドックスな実用硯の中にも、形のいかんを問わず鑑賞に値する厳しい硯相をもった硯もありますので、一概に線を引くことは意味がないのかもしれませんが、要は石色、石紋を含め、刻された硯の意匠の中にどれだけの完成度があるかという事になるのでしょう。
ただ、硯には、まったく刻を施さない硯板(板硯)という硯式があります。石色、石紋が極めて特徴的に現れている硯材を自然形、長方形、方形、円形、楕円形等に形成します。「硯」まさに石を見る、という鑑賞の極地ということができます。(端渓、歙州の硯板には鋒鋩の優れたものが多く、2〜3滴、水を落とし磨墨したり、タッパー等の容疑の中に硯を入れ磨墨し、実用的に使用する方法もあります。)
鑑賞硯の話は必然的に古硯の世界へと繋がっていきます。自ら有する硯がいかなる物であるかという事は、今日流行りの骨董的価値を含め、当然無関心ではいられません。硯が石ゆえに伝承的性格が強いという事は先に述べましたが、単にそれだけではなく、やはり石そのものの持つ神秘的な魅力に人は惹きつけられるのであり、そこに施された意匠の物語が、さらにそれを高めているからにほかなりません。
古来、著名なる文人墨客が愛硯家、収蔵家としてその名を連ねています。彼らは硯額、硯側、硯背や、はたまた箱の表面にも硯を愛でる詩や自らの斎堂館閣名を刻したりと余念がありません。
しかしこの世界には、常に大きな問題が存在します。「真贋」の問題です。硯に限らず墨にも古墨の世界があり、厳密にいえば、紙や筆にもそれに類するものが存在します。
硯のこの問題に一定の答えを与えるものに「硯譜」があります。現物を模写したもの、採拓したもの、さらには近年、写真撮影で現物を実写したもの等があり、硯の歴史、硯式を知る上でのバイブル的な存在であるとともに、真贋を決定するための貴重な役割を果たしています。主なものを並べてみます。
これら硯譜は貴重な資料ですが、色彩的な問題を含め、少々限界があります。しかし、二玄社刊の「古名硯」は当時の日本の名硯を写真撮影した画期的な硯譜です。そこには表で示した硯譜に掲載されている硯が34面も含まれています。また、近年中国において、カラー印刷による豪華洋装本が多数出版されています。これらの出版物は名硯の姿をよりリアルに伝えてくれるだけでなく、その実在性をも証明してくれる新しい形の硯譜ということができるでしょう。
少々専門的な方向へ話が行ってしまった感がありますが、硯の話となると避けて通れないところです。古硯とはいったいいつの時代の硯なのか、真の宋硯、明硯とは? この疑問の答えは極めて難しい話です。古き文人の名を刻した、いわゆる在名硯は要注意とも言われていますし、硯譜掲載と称する硯ですら贋物が登場する始末です。宇野雪村先生は、かつて上海の工芸美術研究室で見た古硯、作硯の様子を語っておられますし、私自身端渓の工場で蘭亭硯の写真を見ながら作硯する若い職人の姿を何度も目にしています。また古硯製作法なるものを聞かされたこともあります。
中国には仿古(倣古)という概念があります、古きをまねるということです。その方法で作られた硯が仿古硯であり、墨ならば仿古墨ということになるわけです。世に流通する多くの古硯に仿古硯が混入されていることに注意する必要がありますが、ここを見極めることはかなりの難問でもあります。しかしこの難問を解くところに硯の魅力、いや魔力が潜んでいるのかもしれません。気がついたときには数十面もの硯の林(硯林)の中に‥‥‥。
仕事柄、新学期に高校へ書道用品の販売にうかがいます。小中学校の書写ではなく、芸術書道ということになり、使用する用具用材も違ってきます。残念ながら液体墨を使用するところもありますが、磨墨をする高校がまだまだ多くあるのはうれしい限りです。二時間続きでの授業がそれを可能にしてくれるのです。ところが、購入した硯と墨が何であるかを知らない生徒に時折出会うのです。墨を磨るということが理解できないのです。しかしその生徒、目ざとく教室にあるプラスティックの墨池を発見し、先生にそれを使用しないのかとの質問を発します。液体墨を墨池に入れて書いていたというわけです。以前にも小学校の墨のおりないプラスティックの硯が問題になったり、固形墨の用途を尋ねられた小学校の先生が、液体墨をかき混ぜる棒だと答えた話などあり、高校教育現場のそれもさもありなんといったところかもしれません。それのみならず、書道界の練成会の作品制作も液体墨が多く使用されるようになってきています。固形墨が液体墨に代わり、硯が墨池に代わる。文房四宝のうち、墨と硯が不要になる。これまさに文房二宝では?
やがて硯も矢立のように、あまり見向きもされることのない骨董市の定番品になってしまうのでしょうか? ‥‥‥まさか?
硯は使用後すぐに洗うことが望ましいことはいうまでもありません。すぐにできない場合には、水の中に浸け置き、墨が固着しないようにして、早い段階で洗ってほしいものです。墨堂への墨の付着は鋒鋩をつまらせ、墨をおりにくくし、さらに墨色にも良いことではありません。また墨おりが悪くなった場合は、砥石をかけると良いでしょう。泥砥石は荒砥なので、軽く墨を磨るようにしてください。しかし老坑などのキメの細かいものは、専門店に依頼したほうが良いでしょう。墨堂に放置し、付着してしまった墨を無理に取って生じたきずなども同じです。
また、時に硯を水の中にひたしておく事も一案です。硯は端渓のように、水中あるいは水の滴る坑の中より産出されるものも多く、また用いるに水との調和は不可欠だからです。水に戻すに一理有りということです。
種類の異なる硯を試してみることもおすすめします。以前に比べ、かなり廉価でありますし、磨墨発墨の違いも書作の楽しみの一つかと思います。
手入れの行き届いた硯での磨墨により、すばらしい書作品の生まれることをお祈りいたします。