唐墨の品質低下は残念ながらまさに目を覆いたくなる現状です。中国には淡墨表現、みれの書表現はありません。故に先に述べたような繊細な墨の製造は必要がないのかもしれません。しかし日本には唐墨の需要は確実にあります。品質のよいものさえあれば……。何度も旧曹素功のような墨は作れないものかと交渉はしましたがうまく行きませんでした。和墨と異なる深く静かな黒。少々赤みを帯びた油煙墨特有の淡墨。古墨を求めるにも限界があります。古き良き製法の復活はないのでしょうか。
さて和墨と唐墨の製法でもっとも異なる所が二つあります。とと香料を混ぜ、団塊を作る所迄は同じですが、和墨では手でよく捏ね、さらに足で何度も踏み締めます。しかし唐墨は金属のハンマー(杵)で繰り返し叩きます。回数が多ければ多い程質が良くなると言われています。「按十萬杵法」です。
もう一つは乾燥です。和墨では灰槽と言われる木箱の中で灰を毎日取り替えながら乾燥させます。唐墨は板の上に墨を並べそれを棚にのせるだけです。実に簡単です。気候風土の違いとは言え少々不思議な話です。
さて墨の話をさせて頂きましたが、もう一度お手元にある墨をチェックして見て下さい。未使用のものがありましたらぜひ磨ってみましょう。今迄にない発見があるはずです。又新しい墨でしたら、ぜひ五〜六年は寝かせてから使用しましょう。筆の抵抗、墨の伸びが違います。使用後は磨り口をすぐに拭きとって下さい。次回は「紙」のお話を致しましょう。
「横香室」墨。直径47ミリ。厚さ11ミリ。清代の墨匠、胡子卿(屋号は奎照齋)による製墨。側面にと款がある。じつに精緻な楷書である。題字の素晴らしさと木型への彫刻師の技に応えるべく墨匠の製墨に魂も入るというものだろう。十萬杵法とあるので、杵で繰返しくり返し叩いて墨が練られたことの証しである。