雪は柴門を擁し−−12月の幅


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神品12か月のうち12月幅は「雪擁柴門氷満池/雪は柴門を擁し氷は池に満つ」、しばの門には雪が降り積もり、池には氷が張りつめている。市河米庵「墨場必携」は白楽天の句として「雪擁衡門氷満池」を載せている。





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この書の最重要ポイントは、氷雪の冷たさの的確な描写だが、ブログの図版でそれを感じ取るのはちょっと無理なことかもしれない。そこがホンモノのネウチ、すごさである。

この書はそれだけでなく、先月の3人の人物描写比較よりも、もう一段と受けとりがむつかしくなっている。つまりよさが分かりにくい、言い方を変えると一段とシブイというわけで、それだけに鑑賞者にはセンスのトレーニングが要求されることとなっている。またまた「そんなのはコジツケ」という人たちが出てくるだろうことも無理からぬところである。ブログをご覧の皆さんは、臍下丹田に気を満たし心の目を開いて、この書の気迫を感じ取っていただきたいものだ。

私の住んでいる四国の徳島でも、子供のころ真冬の寒い朝には池に氷が張りつめているのは当たり前の光景だった。岡山の高等学校に進学して川にも氷が張っているのを見たたときにはそれこそ驚いたものだった。地球温暖化の現代では、どの地方あたりまで行くと、昔ならありふれていたそんな風景を見られるのだろう。

米庵「墨場必携」の白楽天の詩は「衡門」、柱に冠木(かぶき、よこ木)を取り付けた粗末な門、となっていて、梧竹もそれは知っていたはずだが、この書では「柴門」、しば(自生の雑木)でつくった門、と、もう一段と粗末な門にとり替えている。意識的にそうしたのか、単なる思い違いだったのか、ちょっと興味のあるところだ。



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