2009年8月11日
梧竹叢書----北京学習ノート
梧竹は北京に留学してどんな学習をしたのだろうか? 六朝書学習のための渡清という説もあるが、マユツバだともいう。好き勝手なイリュージョン論議を戦わせるよりも、梧竹ご自身が書き残した北京学習ノートを見る方が有益なことは間違いないだろう。
小城市立中林梧竹記念館に『梧竹叢書』が所蔵されている。潘存、余元眉や清国公使館員など中国人士との筆談や書簡、梧竹のメモなどを貼り合わせたスクラップブックである。現状は装幀が変わっているが、原形は6冊本となっていた。
その第3冊には、第1回渡清時(明治15〜17年)につくった碑本法帖コレクションの目録・メモの類を収めている。最初に「梧竹堂法帖目録/北京将来」1枚があり、次に、今回の図版のような「金石ノート」17枚が続く。最後の1枚だけが異質で、余元眉の書簡と名刺2点という構成となっている。
図版は「金石ノート」の1枚目をえらんで右半分をコピーした。全体を1度に書いたものではなく、最初に小紙箋(中央の方形部分)を書いて、大きな台紙に貼り付け、小紙箋の周囲に書き込みを加えたものである。この紙面では、小紙箋に「三」の記入がある。(1冊全体では、「三〜八」、「十六〜二十」の11枚、無番のもの4枚、形式の異なるもの2枚となっている。したがって「金石ノート」で番号を付したものが、少なくとも20枚はあったことがわかる。)
小紙箋に大きな太い文字で書いた「武氏祠後石室画像 嘉祥」(山東省所在の碑石名、嘉祥は所在地)など一連の画像石のリストが、はじめに記されたもので、これは「梧竹堂法帖」コレクションのために、文具商との交渉段階で作製したものと推測することも可能である。その行間に、小さな細字で「ショウ(糸+相)妃彝銘」などの金文銘や「郛休碑」などの碑名があるのは、後から書き加えたものである。
「三」の左側に細字で記した「中書令鄭魏下碑‥」は、銭大キン(日+斤)「潜研堂金石文跋尾」巻2から鄭魏下碑の解説を抄写したものである。末尾の下にある「碑多別体‥」は畢ゲン(サンズイ+元)・阮元「山左金石志」巻9の鄭魏下碑の解説中の異体字についての論考で、図版ではカットした紙面左半部分に続いている。
小紙箋の上部と両側の部分にわたり、馮雲鵬・雲エン(宛+鳥)「石索」から「宋悦性亭銘」「魏曹子建碑」の碑文と解説を写している。下部には、馮雲鵬・雲エン(宛+鳥)「金策」から「大吉祥洗」の挿図を写している。おそらくは最後に書き写したものと思われる
「金石ノート」に筆記した文の原典は、上記のほかにも、趙明誠「金石録」、包世臣「安吾論書」などに及んでいる。「金策」・「石索」の筆写をみても原典の順序とはまったく無関係で、随時随所といった感じで記入している。本紙面でも見られるように、梧竹は鄭道昭の諸碑や六朝異体字に対して、関心を示しているようである。
「金石ノート」を通覧しての感想を順不同、簡略に列挙しておく。
①梧竹の北京留学は「六朝書」の研究のためでなく「書」の学習を目指した留学だった。
「六朝書」が漢魏六朝(あるいは秦以前をも包括した語)の意識で用いられたとすれば、 その意味で「六朝書」研究のためだったといえなくもない。
②隋唐以後に関心を示していないのは渡清前に学習を終えていたからだ。
③「金石ノート」にも、あらゆる書を習い尽くすという梧竹の熱い意欲があふれている。
④梧竹の取り組みの姿勢は学問的志向というよりも芸術的志向である。
⑤「金石ノート」に筆写した各種の研究書は潘存・余元眉のもとでの学習教科書であった と考えることもできる。
⑥北京から持ち帰った有形無形の諸々は生涯にわたる厖大な研究課題となった。帰朝後、 順序正しく一歩々々と梧竹自身のオリジナル書法として摂取し進化をつづけた。
⑦明治30年の北京再遊は「漢代風格」の再確認・体感を目的としたのかもしれない。
⑧「金石ノート」は、佐々木盛行が「読碑記録」と名付けているが、内容にそぐわぬタイ トルなので、あえて従わない。
◆今回もう一枚おまけを。お楽しみください。
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