2009年12月10日
雪竹の図
絵画史上はじめての、天から舞降りる雪そのものを墨で描いた歴史的名画である。いったい、白い雪を黒い墨で描こうなど、どうしてそんなことを発想したのだろう。ともかくこの絵は、先週の12月「雪擁柴門氷満池」幅と同じく寒さ冷たさを描いている。
光風会の小寺健吉画伯は「雪村周継と並列するも劣るを見ず」とこの絵を賛嘆している。雪の絵といえば、洋画ではブリューゲルの「雪景色の狩人たち」とか、水墨山水では雪舟や蕪村の冬景色など幾つも有名作があるが、山野樹木や家屋に雪が積もった風景で、雪そのものの絵といえば理科系学術書の図録というのが通り相場だ。水墨では空を墨で塗っておいて雪を胡粉で描き足す、または雪を白く塗り残すのが定法だが、梧竹の「雪竹」図は雪そのものを、たっぷりと水を含ませた薄墨で、滲みを駆使して描ききった。雪そのものを、しかも墨を使って描くという、梧竹の驚くべき大胆なオリジナル描法である。
有名な与謝蕪村のカラスの絵は、空に舞う雪の様子を、自然な迫力で見事に描いている(木の幹やカラスに積もった雪はすこし不出来に見える)。だがその雪は芝居で使う紙吹雪の雪だ。画家の視線の方向は客席から舞台への水平方向である。雪は舞台、つまり絵の中で、それも遠景で降っていて、近景に止まったカラスにも、観客=鑑賞者の顔や肩にも降りかかって来はしない。絵と絵を見る者との間にそれほどの距離があるのだ。雪も塗り残しで表現した紙吹雪だから、雪の重さや冷たさは描かれていない。雪の重さは切り紙の軽さだし、冷たい感じがあるとすれば、雪の絵だから冷たいはずだとみる者の頭脳が判断しているので、雪の絵を冷たく描いたわけではない(冷たいという判断は、申し訳ないがそれこそコジツケというほかはない)。
梧竹の雪は、垂直方向の視線で天を仰ぎ、降りかかる雪を手のひらで払いながら見上げて描いている。雪は空中少し高いところで螺旋を描いてくるくると旋回し、一呼吸休止をおいて画面からとび出し、勢いよくこちらに向かって降ってくる。雪の運動が、絵の上部と下部の筆遣いで正確に描き分けられている。雪をあおる風、雪の湿りにふくまれた水分の重さ、降ってきた雪片が顔に当たってじわっと溶ける冷たい感触、すべてしっかりと描きこんでいる。この絵をみていると、天地もろとも身体ごと雪に埋めこまれてしまうような感覚で、自分も画中の人となってしまう。目を瞑ると、歌舞伎の下座音楽の雪の太鼓が聞こえている。
梧竹はどこでこの雪をみたのだろう。故郷の小城の雪か、江戸の雪か、北京の雪か、銀座の雪か。空想だけでこれほどリアルな雪の運動が描けるわけがない。私も子供のとき表に出て手のひらをかざして見上げたら、天から降ってくる雪は白いのではなくて薄墨色であることに気付いたことを思い出した。白く見えるのは一面空に張りつめた雪雲で、それをバックにして舞い降りる雪は半透明の薄墨色だった。くわしくいうと、目の高さまでは薄墨色で降ってきて、目より下になり、どこかに積もって動きを止めると白い雪にヘンシンするのだ。雪は白いものだと信じこんでいたのは間違いだった。梧竹は子どものようにうぶな心を生涯もち続け「とらわれのない眼」を失わなかった。ここでも自分の目できちんと雪を見て、真実の姿をありのままに写して見せた。「とらわれのない眼」を失わなければ、ものにふれてこころをふるわせ感動することができるのだ。それにふれた周りの者も、感じ取る素直なこころを失っていなければ、それを共感することができるのだ。世界の半分の人がそうなれるなら、地球人類の未来にも明るい希望が点るだろう。古人が「文章は経国の大業不朽の盛事なり」といったのはこのことだと私は信じている。
注1 画法では、雪の竹を銀梢という。まず竹を描く。雪が降り積もって下に垂れ伏した形に枝を描く。次に油を塗った袱紗を積もった雪の形に切り、枝の上に置いて墨を塗っていき、袱紗を取り除けると雪の積もった竹が出来上がる。
注2 昭和30年の春夏のころ、海老塚的伝翁から100点ほどの名品(後に徳島県に寄贈された)を「君の勉強に」といって送ってくださって、時間さえあれば梧竹名品とのとり組みの毎日となった。私にとって「雪竹」図はとくに感動の1点だった。床に掛けてすーっと展げると、雪の冷気がしーんと皮膚に伝わってくる。軸を胸のあたりまで展げると、冷気も胸のあたりまで広がってくる。ずっと下まで展げるに従って足もとまで冷たくなる。幅を巻きあげてしまうと、冷気は消える。何度も繰り返てしやってみたが、やはりそうだった。私の貴重な体験だった。「カンガカリ」とか「狂信的」とかいわれそうだが、私自身の現実の体験だ。
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