比田井南谷
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比田井南谷展
2024年10月5日から11月16日まで、日本で最初の現代美術画廊「東京画廊+BTAP」で比田井南谷展が開催されました。
比田井南谷著
中国書道史事典
漢字の始まりから近代までの書の歴史と、それぞれの時代の名品をわかりやすく解説。

南谷のことば

南谷のことば
作品67-3(1967)
あの終戦がやはりこの新らしい誕生に作用を及ばしたのかも知れない。しかし心の中のモチーフは容易に形にならない。… これがどの位続いたか、突然頭に浮ぶものがあった。それは父の「行き詰ったら古に還れ」という言葉である。古文だ。先ず古文に還ろう。そこで古籀篇を開いたとき「電」の字が異様に私の注意を惹き、これを夢中で展開させて心線第一「電のヴァリエーション」となったのである。
「心線の生れるまで」1955(昭和30)年
線表現の伝統は4000年の歴史をもち、それぞれの時代が、その時の人々の心について何事か―活力や衰退や優雅など―を露わにする。…東洋の書は、美しい筆跡以上のものである。それは文字の意味によってではなく、書かれた線の意味によって評価される。抽象的書は、内的存在を線で表現しようとする東洋の欲求の拡大である。主眼は外面よりむしろ内面にある。人が私の作品について「美しい」というとき、それは私には何の意味もない。「これが比田井だ」というべきだ。
「ワシントン・ポスト紙での南谷のことば」1964(昭和39)年
今までの私の作品は、いわば一連の実験報告にすぎません。… 私の作品に、もし何らかの取柄があるとすれば、それは、ときどきの、ありのままの姿を正直に露呈しようとした点であろうと思います。
「比田井南谷作品集 自序」1987(昭和62)年

比田井南谷Hidai Nankoku

比田井南谷 プロフィール

本名漸。1912年、比田井天来、小琴の二男として生れる。
天来歿後は書道研究機関「書学院」を継承して数千冊に及ぶ貴重な碑帖の管理にあたり、同時に書学院出版部を再開して良書の出版と啓蒙に努める。1945年、史上初の前衛書「電のヴァリエーション」を書き翌年発表し、書壇に衝撃をあたえる。
東京、ニューヨークなどで個展14回。現代美術展等に招待出品、ニューヨーク近代美術館(MoMA)など著名コレクターが作品買上げ。
またプリンストン、コロンビア大学等約20の大学で書道史を講演する。
1999年10月15日永眠、享年87。

書籍『比田井南谷 ―線の芸術家―』

比田井南谷―線の芸術家―
  • 「比田井南谷 The Artist of Line」髙橋進著、天来書院刊
  • 南谷の軌跡 : 文字を書かない前衛書道を開拓!

第二次世界大戦の敗戦後の日本で、書家の比田井南谷(1912-1999)は、書道史上初の「文字を書かない書」を生み出しました。南谷は、書の芸術性がその文学的な内容から独立しており、書の真の本質がその線の豊かな表現力にあるという信念を持ち続けました。彼は、生涯を通じて孤立して実験に挑戦し続け、その実験が作品を絶え間ない変容へと導きました。本書では、「線の芸術家」と呼ばれる南谷の実験の軌跡をたどるとともに、多くの作品の画像や未発表資料、および英文による要約や詳細な年表を付しています。

生涯  − 心線の芸術家・比田井南谷 −

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