1964(昭和39)年末に、南谷は3回目の渡米をしてニューヨークのミーチュー画廊で個展を開いた。ニューヨーク・タイムズ一面にエリーゼ・グリリの記事が掲載されるなど、個展は大反響を呼び、南谷の古墨の新展開は、ミロやクレーの西洋絵画の線と違い、線が作家の内面の心、作家の人間性をそのまま紙面に表現できる、古典的でしかも斬新な試みとして、高く評価された。
南谷は一躍有名人となり、1965(昭和40)年5月にニューヨーク在住の前衛的な画家、ピエール・アレシンスキー、ワラッセ・ティンらとともに大筆による伝説的なパフォーマンスを行った。その映像には、南谷の繊細な筆使いと比べて、アレシンスキーやティンの過剰な書き込みが見て取れる。また、クルト・ゾンダーボルグ、レイモンド・パーカー、ウルファート・ウィルキらにも書を指導した。講演は、ルドルフ・シェーファー図案学校、プリンストン大、アンティオーク大、モント・ホリヨーク大、アーラム大、スミス大、フェアリー・ディッキンソン大、マサチューセッツ大などで行った。
さらに、5月半ばからは、きつい日程の中でヨーロッパにも足をのばし、オランダの国立民族学博物館、イギリスのバス美術アカデミー、王立美術学校、オックスフォード大、現代美術研究所、西ドイツ・ヘッセンのシューテーデル・シューレ(国立美術大)、ハイデルベルク大、イタリア・ローマの日本文化会館で講演した。
その活動は、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、タイムズ誌などに紹介された。