LIFE  − 生涯 −

比田井南谷心線の芸術家・比田井南谷プロローグ 2.  音楽と書
プロローグ 2

音楽と書

1. ヴァイオリン

はがき

東京高等工芸学校印刷工芸科に入学と同時に、中学時代から関心を抱いていたクラシック音楽の勉強を始め、音楽家の内田元に師事してヴァイオリンの演奏を学び、才能が認められた。将来は演奏家としてオーケストラの一員に目された。しかし、父天来の意向で音楽家の道を断念した。

左は内田元から南谷へ宛てたはがき。

2. 書と音楽

南谷は、書の芸術性は線表現であって、文字の意味性や文学的要素とは無関係であると主張した。この主張は南谷の音楽に関する理解が根拠の一つとなっている。たとえば、歌曲の場合、詩の内容と曲とはかなり密接であるが、南谷は音楽美論のエドゥアルト・ハンスリックの説から、音楽の特有美と曲に付随した文学的要素とは別物であって、音楽の特有美は喜びや悲しみを表さないという。

書と音楽

エドゥアルト・ハンスリック(Eduard Hanslick、1825 – 1904)の『音楽美論』は19世紀半ば1854年に出版された。音楽では後期ロマン主義の全盛の頃であり、リヒャルト・ワグナーやフランツ・リストの作品が代表的である。音楽を感情表現媒体として扱い、文学的表現の付与をも肯定する後期ロマン主義音楽のあり方に対して、ハンスリックは音楽の純粋性を中核に据え音楽芸術の自立性を強調する。それまでの音楽美学は、音楽美の基準を設定することもなく、音楽が示す聴き手を圧倒するような感情の描写力をただひたすら賞揚した。それに対し、ハンスリックは音楽特有の美を提唱する。音楽はそれ自体として独立しており、その美の構築にあたっては、外部から挿入される内容を一切必要としない。美は音の芸術的結合の中にのみ存在し、音は聴き手の精神に自由な形象をもって顕現する。音楽の美が表現するのは旋律、和声そしてリズムといった音素材で構築され、それ自体を目的とする自立的な美である。ハンスリックはそうした純粋な形式に基づく音楽の内容を「響きつつ動く形式」と規定する。

書においても、線は書かれた文字の意味や文学的内容をそのまま伝える従属的なものではない。また、文字に託した書き手の喜怒哀楽の感情表出でもない。書の線質、遅速、曲直、潤渇、強弱等の線の形体それ自体が書の美として顕現する。その美は、筆を動かす書き手の性情の変化に随って流出し、線に、その人間が表れるのである。

音楽と同じように、書の線表現は感情を表さない。書は感情ではなく、別のもの、人格を、言い換えれば人間を表す、と考えた。

たとえば、王羲之の「喪乱帖」は先祖の墓が発かれた悲しい事実を書いているが、その書から悲しみが表れているわけではない。「喪乱帖」に現れているのは、人間、王羲之の人間である。芸術は、結局、人間を現わすものでなければならない、と南谷は言う。

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