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比田井南谷心線の芸術家・比田井南谷父、天来と弟子たち 1.  天来の「象」
父、天来と弟子たち 1

天来の「象」

旧制中学時代から、南谷は書にも興味を持ち、天来の蒐集した古法帖の臨書を始めている。天来は、わが子の臨書に口出しや強制をすることなく自由に任せていたが、古典の書法の指導や出来栄えには批評を加えていた。

天来は、師日下部鳴鶴の筆法の廻腕法では唐時代の美しい楷書の線が書けないため、古典研究の結果、新たな筆法の俯仰法(古法)を発見し、普及発展のため、全国遊歴の旅を続けていた。また拓本や古法帖を多く蒐集し、書道の総合的研究機関を作ろうと構想していた。

1930(昭和5)年に、代々木山谷に待望の書学院が完成し、拓本や古法帖など多数収蔵し、誰もが自由に見られ研究する機関を設立した。南谷も自由に出入りし、古法帖を持ち出していた。この書学院には、上田桑鳩、金子鷗亭、桑原翠邦、手島右卿、大沢雅休、石田栖湖ら、戦後日本書道界を牽引する若者たちが全国から集った。

後年、南谷は、天来が「書は文字を書く芸術であるが、文字を離れても書は成り立つか」という問いに、「もちろん成立する。それが成立しなければ書は芸術ではない」と答えた、と人から聞いている。後に、墨象書家たちが、天来が述べたという「象」(文字ではなく筆による墨の形象)に関連する。

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