LIFE  − 生涯 −

比田井南谷心線の芸術家・比田井南谷これは書か 3.  電のヴァリエーション以後
これは書か 3

電のヴァリエーション以後

作品22

文字を書かない書の実験は大きな反響を呼び、追随する書家たちは前衛書、あるいは墨象という名で集った。南谷は「心線」、つまり線表現が書の根幹であり、線の心と美をどのように表現するか、意識的に実験を試みる。文字の意味や文学性を離れても書の心は表現できる。ひとり独自にその苦闘が始まった。

1954(昭和29)年、たまたま、ある美術評論家が「抽象絵画と前衛書との相違点は用材の相違以外には考えられない」と言うのに対して、南谷は「書の芸術的本質は鍛錬された筆線による表現にあるので、用材は単なる媒体にすぎない」と反論した。それを証明するため、南谷はキャンバスの油彩による作品、ラッカーボードの作品、また油絵具を塗った板を筆ではなく竹片やタイヤの切れ端でひっかいた作品など、多彩な用材を試して、線表現の可能性を追求した。

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