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比田井南谷心線の芸術家・比田井南谷これは書か 2.  電のヴァリエーション
これは書か 2

電のヴァリエーション

電のヴァリエーション

心線作品第一・電のヴァリエーション(1945年)

1945(昭和20)年、比田井南谷は長い書の歴史の中で初めて文字を書かない書作品を制作し、翌年、義兄角浩の勧めで洋画界の‘現代美術作家協会展’に発表した。「心線作品第一電のヴァリエーション」と名付けられた作品は、毀誉褒貶を招きながらも書道界に大きな反響を呼んだ。父天来の高弟である手島右卿や大沢雅休の激励もあって、南谷は文字を離れた書芸術の成立を目指し実験の道を進み始めた。

南谷の「心線の生れるまで」昭和30年(1955)の述懐。「あの終戦がやはりこの新らしい誕生に作用を及ばしたのかも知れない。しかし心の中のモチーフは容易に形にならない。疎開先の炬燵の中で奇怪な線や点を書いては反古の山をつくり、人が来ると急いでしまい込むという自信のなさに私は悩んでいた。これがどの位続いたか、突然頭に浮ぶものがあった。それは父の「行き詰ったら古に還れ」という言葉である。古文だ。古文だ。先ず古文に還ろう。そこで古籀篇を開いたとき「電」の字が異様に私の注意を惹き、これを夢中で展開させて心線第一「電のヴァリエーション」となったのである。」

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