※青字は展覧会歴です。茶字は著作です。
年 | 歳 | 年譜 |
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1912 | 0歳 | 2月1日、神奈川県鎌倉扇ガ谷に生まれる (名は漸)。1939(昭和14)年まで、父・天来について書法を学ぶ。 |
1924 | 12歳 | 旧制の府立第六中学(現、都立新宿高校)入学。音楽に傾倒。書道にも興味を抱き、臨書を始める。 |
1929 | 17歳 | 東京高等工芸学校印刷工芸科(現・千葉大)入学、印刷技術と写真製版を学ぶ。同時に、内田元に師事しヴァイオリンを学ぶ。 |
1934 | 22歳 | 東京高等工芸学校印刷工芸科卒業。参謀本部陸地測量部に勤務。陸地測量・地図作製の技術を学ぶ。 |
1935 | 23歳 | 長兄・厚死去。天来から南谷の号を受ける。上田桑鳩リーダーの「書道芸術社」の同人となる。 |
1937 | 25歳 | 「大日本書道院展」(第一回は天来の単独審査)の審査員となる。 |
「書道芸術社展」(東京)に出品。 | ||
1937~1941 | 「大日本書道院展」(東京)に毎年出品。 | |
1939 | 27歳 | 1月1日木内きく子と結婚。1月4日天来死去。 その創設になる「書学院」を継承。書道の資料 、図書の管理運営の任につく。 |
1939~1944 | 機関紙『書勢』の継続発行および古碑帖の出版を行ない、古典書道の普及につとめる。 | |
1940 | 28歳 | 「大日本書道院展」の参事となる。 |
1942 | 30歳 | 「興亜書道連盟展」の審査員となる。 |
「興亜書道連盟展」(東京)に出品。 | ||
1945 | 33歳 | 空襲が激化し5月25日三宅坂の参謀本部・陸地測量部が炎上する。 |
5月、長野県に疎開。古文を基礎とし 、初めて抽象的な書表現の実験をはじめ 、試作に対し「心線作品」と名付ける。 9月、新たに発足した文民組織の地理調査所に勤務。 | ||
1946 | 34歳 | 6月、「現代美術作家協会展」(東京)に日本最初の抽象的書作品『心線作品第1 電のヴァリエーション』他 2点を出品。 |
1946~1957 | 「日本書道美術院展」(東京)に毎年出品。 | |
1947 | 35歳 | 「日本書道美術院展」の審査員となる。 |
1948 | 36歳 | 「毎日書道展」の審査会員となる〈1986年まで〉。母・小琴の死去。山枡康子(小葩)と結婚する。 |
1949 | 37歳 | 地理調査所を退職。横浜精版研究所を設立。末弟、徹の病死。 |
1948~1985 | 「毎日書道展/毎日前衛書展」(東京)にほとんど毎年出品。 | |
1954 | 42歳 | 「飛白」の書法を研究する。 |
1954~1955 | 「毎日書道展」に飛白作品数点を発表。 | |
1955~1956 |
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1956 | 44歳 | 「南谷墨象近作展(個展)」(2月および10月の2回、東京、養清堂画廊) 、「週刊朝日」前衛書家を取り上げる。 |
1956~1960 | 「比田井天来記念前衛書展」(東京、村松画廊)を毎年企画開催し出品。 | |
1957 | 45歳 | 拓本の技法を研究し、制作面に応用する。「日本前衛書作家協会」創立。 |
「現代書道展」(東京、産経会館および銀座松坂屋)に出品。 第4回サンパウロ・ビエンナーレに「墨象」部門成立(キュレーター、ペトローザ)。井上有一・手島右卿を選出。南谷英語でコミュニケーションをとる。 |
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1958~1968 | 英文『書道芸術』の著作を企画し、書学者伏見冲敬の協力により、中国書道通史の部を脱稿、 日本美術の研究・評論家エリーゼ・グリリとともに、英訳の大半を完了する。 | |
1958 | 46歳 |
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1959 | 47歳 | 「国際美術協会」(東京) にて講演する。
「第5回サンパウロ・ビエンナーレ展」「墨象」部門に南谷・森田子龍が選ばれる。
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1960 | 48歳 |
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1961 | 49歳 |
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1962 | 50歳 |
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1962~1964 |
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1963 | 51歳 | 南谷は書家(上田桑鳩・手島右卿・桑原翠邦・西川寧・熊谷恒子・松井如流等)の書いている姿を8ミリフィルムで撮影。
第2回渡米、次の諸大学等で書道史の講演をする。ラトガース大学、リーハイ大学、ニューヨーク市立大学ブルックリン校、コロンビア大学、サラ・ローレンス大学、メリーランド大学研究所、ジャパン・ソサエティー(ニューヨーク)。 1963年末に帰国。
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1964 | 52歳 |
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1965 | 53歳 |
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1966 | 54歳 | 「国際文化振興会」(東京)にて講演する。 横浜精版研究所の技術改良と印刷精度の向上を目指して全精力を傾注する。
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1967 | 55歳 | 「個展」(東京、大倉画廊)開催。 第4回渡米。 |
1967~1968 | 「現代日本の抽象書」展(ニューヨーク、ヘンプステッド、ホフストラ大学、エミリー・ロー画廊)に出品。 | |
1968 | 56歳 | 「書道:墨の芸術展」(BSN新潟美術館)に出品。 |
1968~1970 | 東京タイムズ社主催「現代書壇名流展」(東京、日本橋三越画廊)に毎年出品。 | |
1969 | 57歳 | 『顔勤礼碑』(「書道技法講座」第5巻、二玄社刊)を執筆する。 昭和19年以来休止の「書学院」の出版事業を再開し、比田井天来の著書や日中書道史上の稀覯の名品などの編集発行を行ない『学書筌蹄』全20巻、『余清斎帖』全8巻その他種々の著作物を刊行する。 第5回渡米。サンフランシスコ市のカリフォルニア大学公開講座にて講演する。 |
1970 | 58歳 | 「国際文化振興会」(東京)にて講演する。
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1970~1985 | 「玄武書道展」(東京、銀座三越)に毎年出品。 | |
1971 | 59歳 | 第6回渡米。サンフランシスコ市のカリフォルニア大学公開講座にて講演する。
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1972 | 60歳 | 書学院同人および毎日新聞社主催の「比田井天来生誕百年展」の開催に協力する。 妻小葩を喪う。 第7回渡米。 「書壇前衛-書の探求展」(東京)の世話人の一人として、その実現に協力する。
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1972~1973 | 「書壇前衛-書の探求展」(東京、ギャラリー・センターホール)に毎年出品。 | |
1973 | 61歳 | 「日本現代書展」(マサチューセッツ、ケンブリッジ、アート・アジア画廊)に出品。 |
1974~1975 | 62歳 | 長野県、比田井天来生地に建設の「天来記念館」の設立に努力する。 |
1975 | 63歳 | 「天来記念館開館記念展」(長野県望月町、天来記念館)開催。 |
1976~1977 | 64歳 | ドイツ巡回「現代日本書展」(オッフェンバッハ、クリングスポール美術館、および西ドイツ4都市)に出品。 |
1977 | 65歳 | 「摩崖碑拓本展」(東京、東京画廊)に書学院蔵の中国書道の拓本を4回にわたって展示、美術家に紹介。 |
1977~1978 | 第9回渡米。バークレーのカリフォルニア大学の東亜図書館に蔵される約1000種の古碑帖拓本(旧三井文庫所蔵)の調査をする。 | |
1979 | 67歳 |
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1980~1983 | 68歳 |
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1983 | 71歳 | 『現代書』全3巻(雄山閣刊)を共編、執筆する。 |
1985 | 73歳 | 8月脳梗塞の発作。言語障害と視野の左半分が無いという左半側無視の症状判明。 |
1987 | 75歳 |
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1987 | 76歳 | 「個展」(東京、東京画廊)開催。 |
1988 | 77歳 | 毎日書道展第40回記念展から「毎日書道顕彰」が発足、第1回で飯島春敬 (学術)、比田井南谷(書道芸術)が 顕彰された。 |
1999 | 87歳 | 「書の伝統と創造展」(小海町高原美術館)開催。
10月15日永眠、享年87。鎌倉建長寺にて葬儀告別式。 |
2000年9月 | 「一周忌 比田井南谷・回顧展:気体的書道の創造」展(東京画廊+BTAP) | |
2002年2月 | 「日本的なるもの—書くこと描くこと」(岐阜美術館2002) | |
2009年6月 | 「4つの物語」(川村記念美術館2009) | |
2012年4月 | 「比田井南谷+比田井小葩」展(東京画廊+BTAP) | |
2016年6月 | 「NANKOKU 比田井南谷」展(東京、加島美術) | |
2016年7月 | 「あの時みんな熱かった!アンフォルメルと日本の美術」(京都近代美術館) | |
2017年10月 | 「THE WEIGHT OF LIGHTNESS 似重若軽」(香港 M+美術館 開館準備所蔵作品展) | |
2021年11月 | 香港「M+美術館」開館、2点展示 | |
2022年9月 | 「比田井南谷~線の芸術~」春日井市道風記念館 | |
2022年11月 | 比田井南谷生誕110年「HIDAI NANKOKU」√k Contemporary |