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比田井南谷心線の芸術家・比田井南谷不思議な墨 3.  南谷の新境地
不思議な墨 3

南谷の新境地

作品57-5

1967(昭和42)年の個展では、不思議な墨を使いながら新しい方法を試している。鳥の子紙にリキテックスのジェッソを数回塗り、その下地に古墨で書き、満足な表現ができたらアクリルのマットニスを上塗りする方法である。完成作は堅牢で耐水性があり、作品をテーブル代わりに使っても、汚れをクレンザーで拭いて損傷がないことを紹介したという。

作風も変化し、1回目から3回目の渡米前後の力強さや重みの線表現から、衒わず自由で瀟洒な線へと移行している。時には、非常にユーモラスな作品もあり、渡米を機に、南谷の人間性が大きく成熟していることが見て取れる。

1970(昭和45)年の「大阪万国博美術館」への出品作以降、ますます表現は自由となり、小さな点と線や開放的な空間(余白)を生かした作品など、書や絵画の枠組みにとらわれない「人間・比田井南谷」の芸術の姿が現れている。

1985(昭和60)年8月に、脳梗塞の発作で倒れ入院。視野の左半分が無いという症状の左半側無視となったが、懸命のリハビリの結果、ほぼ日常生活に支障のない状態となった。

1987(昭和62)年に東京で14回目の個展を開催、また、念願の「中国書道史事典」(英文で書の鑑賞と歴史について執筆していた書物の、中国の部分の元原稿)を刊行した。そして、自選作品集「比田井南谷作品集」を書学院出版部から刊行した。

1999(平成11)年10月15日永眠、享年87。

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