文房四宝を楽しむ
せいひぞうぬし
清秘蔵主
早川忠文
筆
序
文房四宝(ぶんぼうしほう)の話をさせていただくことになりました。名品鑑賞というわけではありません。ごく身近な筆墨硯紙(ひつぼくけんし)、現在誰もが使っているもの、あるいはごく最近まで普通に入手できたもの、それらが主人公です。 そもそも文房四宝は用具用材であり、まさに裏方的な存在です。しかしいかなる名人であれ、これ無くしては傑作を残すことができない、言いかえれば書道史には常に文房四宝史が密着していると言う事にもなるわけです。 現代書道と文房四宝、その産地と職人、それを用いる作家のこだわりや古玩(こがん)を愛する文人気質、将来をたくす教育現場に書道塾、その見聞録やいかに。まずは「筆」から始めましょ
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筆1 鶏毛筆から「学院法」へ
「」は古典臨書用の銘筆として、すでに半世紀を経過し、今なお現役活躍中の筆です。比田井天来先生の書学院にて販売されていた筆を、桑原翠邦先生からお借りして精華堂にて模したもので、「書学院の法」に由来して名付けられています。 昭和35年3月号の「」巻頭言で具体的な経緯を知ることができます。52才の翠邦先生と、弱冠25才の精華堂佐藤社長のをはさんでのやりとりが彷彿と目に浮かぶとともに、翠邦先生の筆(とりもなおさず書)に対する基本的な姿勢がうかがえる貴重なお話です。 書宗院一回展のとき、売店を出した筆屋さんが賞品を寄贈したいという。賞は設けない会だからと辞退したら、せめて記念の品として、でも、との話。私
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筆2 伝統と改革(純羊毫先寄せ筆)
伝統的な臨書用筆「学院法」が作られた頃、日本の書道界では新しい書表現が躍動し始めていました。既成概念にとらわれない自由奔放な表現、世界に通用する芸術としての書の追求によって、前衛的な墨象、大字書、近代詩文書、大字仮名などの新しいジャンルの書が誕生したのです。 さて戦後の書表現で、今までになかったもっとも大きな変化と言えば「みとれ」でしょう。当然この新しい表現を可能にする用具用材が必要となります。墨、紙については後にふれますが、まずは筆です。それが上田先生の発案による先寄せ筆です。製作者は先代主、井原。もとより二人は書の師弟関係にありました。桑鳩先生は時折、熊野の仿古堂を訪れて稽古をされていたと
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筆3 新生と消滅(文化大革命以前の唐筆)
日本に於いて新しい形の筆とそれに伴う新たな書表現が誕生し、熱気を持って進展する中、お隣りの書のご本家中国では別の熱気、いや狂気が発生しておりました。文化大革命(1966〜1976)です。特権階級の粛正と追放、伝統文化の破壊の10年について今ここで論じる訳にはいきませんが、筆への直接的な影響は記録しておかなければなりません。すでに1956年に国営が設立され、の名柄を中心に名称を変更して製造を開始しておりましたが、他の店も文革とともに暖簾を廃止され、新しい店に統合されていきました。 (・)・・他五社→上海筆店 (・)・→ ・・・→ 、→ また、筆名も次のように変わっていきました。 →江→一号 →山
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筆4 後世への伝言(彫名の用と美)
最後に筆の穂の部分から軸の方へ目を転じて見ましょう。先ほど述べました文革前の唐筆の魅力の一つに、の美しさがあります。彫銘はもともと筆の実質的な内容の記録と、書人の文人趣味や思想を筆名として筆管に彫り込んだものです。 市川は「」の中で「およそ文房中、筆ほど功ありて寿の短きものはなし。禿してのちは誰しも顧みず。棄てて土芥の如くす。たまたま、古人退筆を地に埋み塚となせしことあれど、その功労に報ずるの意のみにして、すでに埋みし上は、筆様筆名、或いは長短剛柔、如何なる者ありしや、さらに知るべからず」と述べ、唐から清に至る二百余種の筆を「米庵先生蔵筆譜」に編むに至る経緯を語っております。 まずは彫銘の役割
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