隊長、詩(私)的に書を語る」は、比田井義信(1953年生まれ・私の弟です)が母、比田井小葩(しょうは)を回想しながら、小葩の書を語るシリーズです。
比田井小葩のオフィシャルサイトはこちら
2024年10月14日から「時々南谷」を追加して、比田井南谷の作品も紹介しています。

 

 

 

比田井小葩 いろはにほへと

「いろはにほへと」です。
この作品は琴心会で、日本橋三越にて発表されたものです。
比田井小琴の弟子だった天野翠琴、堀桂琴、比田井小葩の三人による展覧会でした。

 

野間清六氏の文があるので、1966年以前だったと思われますが、みんなどうしてパンフレットに年号を入れてくれないんでしょうね?
かなの展覧会なのにこんなの出しちゃってなんて思いますが、ちゃんとかなの作品も出していたようで写真がまとめてあったので、何点かご紹介させていただきます。

 

 

比田井小葩

 

比田井小葩

 

天野翠琴

 

   堀桂琴

 

 

母と天野翠琴先生は、かなり気が合ったようでした。

一緒に出掛けることもよくあって、なんだかちゃきちゃきで、さっぱりした性格なんだとよく言っていました。

ある時、みんなで小田原のミカン狩りに行きましょうということになって、途中、辻堂のご自宅で天野先生を拾ってしばらくすると突然、どこか医者があったら止めて頂戴といったので母が、どうしたの?具合がわるいの?と聞くと、違うわよ、持っているインシュリン打ってもらうのよ、歯医者以外なら何でもいいから探してちょうだいなんていうのです。

毎日、医師の息子さんに打ってもらっていたのに、今日はいなかったのよなんて言うのです。

平塚あたりまで行っていたのですが、探しても日曜のせいで、チャイムを押してもどこも不在のようでした。

公衆電話を見つけて息子さんに連絡がついて、近くの医院を探してもらってやっと打ってもらいましたが、怖くて自分じゃ打てないんだそうでした。

 

その大騒ぎがあまりにも衝撃的過ぎて、そのあとのミカン狩りのことはあまり覚えていませんが、みかんがずいぶんすっぱかったことは、覚えています。

 

 

 

天野翠琴先生!
なんてなつかしいお名前でしょう。
書壇の先生方の中で、一番たくさんお目にかかったのではないかと思います。

 

左から堀桂琴先生、比田井小葩、天野翠琴先生。
ちょうどこの展覧会の頃かもしれません。
堀桂琴先生は桂会を創設して独立書人団に所属、天野翠琴先生は翠洸会を創設して奎星会に所属されました。

 

「造形新報」に翠洸会の記事があります。

  

天野翠琴氏のひきいる翠洸会展はちょっとかわった存在である。
メンバーはみな、いまをときめく大企業の社長副社長夫人というのだからおどろく。
 

 

確かに天野翠琴先生の翠洸会の方々は書家というよりセレブの奥様が多かったので、その後は書壇でお名前を見ることは少なくなりました。
2019年の「天来の会書展」では、奎星会の平野翠甫先生から、天野先生の作品をお借りしました。

 

 この投稿をアップした後、筒井茂徳先生から、雑誌「書品」の記事によると、この「琴心会書展」が昭和40年(1965)だったことがわかるというメールをいただきました。
該当部分をご紹介します。

 

 

イタリック部分は比田井和子のつぶやきです。