二十世紀初頭、「古典臨書」を学書の基盤におき、「書は芸術である」と主張した比田井天来は、50歳代まで弟子をとりませんでした。しかし60歳に近づいた頃から…⇒ 詳しく
昭和55年(1980)、第一回大璞会書展開催から大璞会書展は合計4回開催されました。その図録表紙と天来の会書展図録の表紙です。⇒ 詳しく
太平洋戦争の終結後、日本の書の中に、従来とは異なった書表現が生まれました。この中枢を担ったのが天来門流です。⇒ 詳しく
比田井天来が書いた石碑は、日本全国で20基ほど知られています。これらの中か ら、新潟県にある巨碑「信濃川治水紀功碑」と、最晩年の傑作「瀧本栗林二翁頌 徳碑」(北海道登別温泉)の拓本を複製・出版しました。 ⇒ 詳しく
比田井天来・小琴とその門流の作品400点を展示しました。書学院同人をはじめ、「漢字」「かな」「詩文書」「少字数書」「前衛書」「篆刻」の分野にわたり、それぞれ五十音順による展示です。⇒ 会場風景