象さんの耳打ち
天来書院
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心を打つ書は街にあり!新刊『書のある散歩道かながわ ―神奈川書碑探訪―』

 

突然ですが、神奈川県近郊の皆さん!お出かけしてますか?

 

屋外でのマスク着用の考え方もだいぶ柔軟になり、気候も穏やかになって来ました。

人混みはまだまだ要注意だけど、久しぶりにちょっと遠出の散歩でも・・・とお考えではないでしょうか。

そんな方にぴったりの新刊をご紹介致します。

 

『書のある散歩道かながわ ―神奈川書碑探訪―』

書影

神奈川県下の石碑を巡り、そこに刻まれた文字の美しさ、面白さから300余りをピックアップしまとめた5年間の記録です。

 

著者の川浪惇史さんは、天来書院ブログ「江戸・東京の碑を歩く」、また比田井天来出生地の碑を訪ね歩いた「天来の里をゆく」(匠出版)を執筆されています。書道雑誌「書21」(匠出版)の主幹であり、その熟練した目に留まった書碑を採り上げ、読み解いてくれます。

碑に書かれた出来事や人物に解説が加えられていますが、あくまで「街歩き」の視点で決して堅苦しくなく、気軽なぶらり旅気分で読むことができます。

 

掲載している碑は日本近代の漢文碑が多く、主な揮毫者としては「明治の三筆」とも称される日下部鳴鶴、中林梧竹、巌谷一六の三氏を始め、西川春洞、小野鵞堂、中村不折ら著名な人物が名を連ねています。

また中にはあまりよく知られていないと思われる名もあり、それらが書的な観点から等しく採り上げられている点もユニークです。

もちろん、建長寺の比田井天来碑もあります。

 

それでは本書から内容をごく一部、気の向くままにご紹介致します。

 

こんなところに名家の筆跡

 

際立って掲載数の多いものは、巌谷一六(いわやいちろく)揮毫の碑です。

前述のとおり「明治の三筆」に数えられる書の実力に加え、別け隔てなく広い交際を持ち、幾度となく全国を飛び回ったことから、碑に限らず、飛び抜けて多くの作品が残されていることでも有名です。もちろん神奈川県でも例外ではありません。

巌谷一六書碑

本書掲載分だけでこんなに・・・

 

石碑といえば有名な史跡や大きな寺院にあるものを想像しますが、著者特有のアンテナは、ともすれば通り過ぎてしまうような道端にある碑も探し出してしまいます。

 

その中でとりわけ「見つかりにくい」と思えるのがこちら。

永島亀巣功徳之碑

『永島亀巣功徳之碑』
篆額:嘉彰親王 撰文:重野安繹 書者:巌谷修(一六) 刻者:露木宗吉

 

金沢文庫駅と金沢八景駅の間のエリアはかつて平潟湾であり、そこを1668(寛永8)年、永島泥亀が干拓し新田開発しました。その9代目子孫である永島亀巣がこの碑の人物です。亀巣は、地震や豪雨により壊滅的打撃を受けた新田を復興させました。その頌徳碑です。

独特の書きぶりの作品が印象的な巌谷一六ですが、この碑文のように人の偉業をたたえ、後世に遺すという役割を帯びた文字は、自然とこのように誠実で強健な構えを成すようです。

巌谷一六の書についてはこちらもご参照下さい。
https://www.shodo.co.jp/tenrai/article/serial06/02-6.htm (天来書院ブログ「近代日本の書」第二回 巌谷一六)

 

ふだん見過ごしている路傍の碑にも、もしかしたら意外な人の手が・・・と思うと面白いですね。

この碑は入り組んだ路地の奥にありますが、本書では概略地図も掲載しています。道が細かすぎて正確には描画できませんでしたが、ちゃんと手がかりにはなるよう心がけました…。

 

日本近代史という「沼」にご招待

 

徳富蘇峰(とくとみそほう)は、当初平民主義を掲げて世に現れ、ジャーナリストとして活躍するも、言論が政権寄りへと変遷することで「炎上」し、また一方では日本史に関する大著を世に送り出すという、なかなか輪郭の捉えづらい人物ではありますが、いずれにしても「列強ひしめく中での日本のあり方」を純粋に追究する人物であったように思えます。

その書が採り上げられることはあまりありませんが、筆名「菅原正敬」での揮毫碑が多数あり、本書にもいくつか掲載されています。

日比野雷風居士墓

『天下無敵 日比野雷風居士墓』

 

鶴見にある曹洞宗大本山總持寺でもひときわ目を引く、全長9mの碑。形状がどことなく刀を思わせる峻険な佇まいです。

碑陽の行書は当時の総持寺貫首であった石川素堂ですが、その裏(碑陰)の文が蘇峰によるものです。石碑特有のかしこまった楷書とは違い、おおらかで素朴な趣があります。

 

「天下無敵」というあまりに強烈なフレーズについ興味が惹かれるところですが、この日比野雷風という人物に関して、本書では「明治中期に神刀流居合術を創始した」とあります。

幕末から明治の廃刀令、維新という激変の中で翻弄され、これまでにない不遇を味わったのが「剣の道」で、これに携わる者は興行や文化の継承にたつきを求めていったようです。その中でも日比野雷風は「剣舞」と呼ばれるジャンルを系統立て確立していった特異な存在でした。政治家との知己も得、徳富蘇峰とも交際があったようです。

さきほど「炎上」という言葉が出ましたが、徳富蘇峰主幹の「国民新聞」が5000人の暴徒に襲撃されるという事件が起こりました(日比谷焼き討ち事件)。この際に群衆に向かって刀を抜き対峙したのが日比野雷風であったとのことです。

5000人の暴徒を相手に、刀一本で無双というファンタジックな光景を思い浮かべたくなりますが、詳細はいまのところ不明です。調査不足で申し訳ございません。

ただ、この人物と徳富蘇峰が浅からぬ縁であったことはこの碑が証明しています。

 

その他、本書カバーでも使用している「河村城趾碑」も徳富蘇峰の字ですが、お気に入りです。

河村城址碑

 

「字が面白い」。

この一点から興味を持ち、調べ始めてしまったがためにいわゆる「沼」にはまり、ブログでのご紹介が遅れたことに後悔はありません……。

 

今後も継続して本書を採り上げていきたいと思います。

全国の書店にてご注文いただけるほか、弊社WEBサイトでも販売しております。

何卒よろしくお願い致します。